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がくのロータリー人生

二代目マツダルーチェと三代目プレマシーやC56に乗るがく




ABOUT ROTARY ロータリーエンジンについて




大学の卒論の序章の文章を、そのまま転載します。
ただ、マツダ広報以外からの出版物画像は、転載しません。
いろいろな、サイトが、RE関係の文章を特集してます。
ロータリーイーグルは最後発組になるんであくまで、添え物として...ひそかに載せときます。
実は、私、高校の卒論でも同じ事を題目にしたんですけど、そっちは相当酷かったのです。
でも、大学の時のこちらは、だいぶまともになりました。

ロータリエンジンの創成期

NSUとロータリエンジンファミリ

東洋工業=マツダとロータリエンジン

1970年代以降のロータリエンジン

現在のロータリエンジン

ロータリエンジンとモータスポーツ

参考文献

ロータリエンジンの創成期



ロータリエンジンは、内燃機関の一種である。
 その発案は古く、16世紀のイタリアの技術者、Ramelliの回転ピストン構造揚水ポンプ[図1]が発端であるとされている。
 ピストンとクランクにより直線往復運動を回転運動に変換し、出力を取出す、レシプロエンジンよりも、回転ピストンによる回転運動を、そのまま出力するロータリエンジンのほうが有利であると考えられていた。
 そのため、1636年にはフランスPappenheimが歯車式ポンプ[図2]を、1769年にはJeams Watがロータリ蒸気機関[図3]を、1859年にはイギリスのJonesがルーツ式コンプレッサの基礎となる機構[図4]を発明している。
 ところが、内燃機関の回転ピストン機構の実現は20世紀になってからとなってしまった。レシプロエンジンと比較すると、ロータリエンジンは、

(1) 高圧力の働く作動質気密確保の困難性

(2) 熱力学的ガス作動サイクルに合った吸排気の確立が不十分

(3) 潤滑、冷却が困難

の弱点があげられ、これがそのまま回転ピストン機構の実現を困難な物にしてしまっていた。
 1954年、第二次世界大戦前より、回転機械の開発に従事していた西ドイツのF.Wankelが、ついに内燃機関としての実用化の可能性を秘めた機構を考案する。そして、それは西ドイツのNSU社との技術提携をもとに現在のロータリエンジンのアイディアを提示したものに発展し、以後、両者の共同開発がはじまった。発案された機構には2種類あった。

(1) 自転ピストン構造

Drehkolbenmaschine(DKM) [図5]

(2) 公転ピストン構造

Kreiskolbenmaschine(KKM)[図6]

両方共、2節3葉型のエピトロコイドとハイポトロコイドで構成されている。
 このうち、現在、ロータリエンジンと呼ばれているエンジンは、公転ピストン構造(KKM)を用いている。
 公転ピストン機構は、吸排気、潤滑、冷却がより確実に行える点が、自転ピストン機構よりも、優れている。給排気は、ロータの作動により、ポートを開閉し、摺動面には、オイルを供給でき、冷却は、ハウジング、ロータ共に、液体または気体による冷却が可能である。
 NSU-Wankel社はロータリエンジンを製品化しようとする、世界中の企業と相互技術提携を結んだ。ただし、ロータ頂点に配されている、アペックスシールとエピトロコイドととの摺動面にできる、波状摩耗(チャターマーク)[図7]の発生、サイド面から作動室内へのオイル流入によるオイル消費の過大性は収められなかったため、実用化はなかなか進まなかった。
 日本からは、1960年にヤンマーディーゼルと東洋工業(現在のマツダ)がまず、NSU-Wankel社と技術提携交渉を始めた。

図1~7は、すべて、編者 山本健一氏のロータリーエンジンからのものですので、掲載は控えます 



NSUとロータリエンジンファミリ へ

NSUとロータリエンジンファミリ



NSU-Wankel社での開発は、行き詰まっていた。そのために相互技術提携を世界中の各社と結んだ。その問題の解決に最も貢献したのが、日本の東洋工業であった。
 ロータリエンジンを、小型のバイク用や汎用として用いる場合、ロータの冷却は、吸入空気によって行うが、この場合のロータサイドの潤滑は、レシプロ2ストロークエンジンと同じように、新気にガソリンとオイルを混ぜれば、いいのだが、自動車以上に使用されることを考え、ロータ内冷却をオイルで行う、レシプロ4ストロークエンジンすなわち、ピストン冷却は新気と潤滑オイルで行うのと、同じ事であるが、その場合は、ロータ内へのオイル供給、排出、ロータサイド摺動面の潤滑保持と、油密の確保が大きな問題であった。油密の確保ができないと、作動室にオイルが流入し、オイル消費の過大、白煙発生、アペックス、サイドシールのカーボンスティック発生、その影響による圧縮不良など、良い事は何もない。レシプロエンジンと同じ方法では、解決できない問題であった。そこで、NSUは油密リング[図8]、東洋工業はシリコンゴム入りリングシール[図9]により、オイル流入を解決した。
 チャターマークは、当初、200時間ほどの連続運転で発生していた。東洋工業は、まず、金属製のクロスフローと呼ばれる、シールを開発した。[図10]このシールは、アペックスシール内に摺動面と垂直、平行方向に、小穴をあけ、シール頂部の質量を減らし、シールの遥動をさけ、チャターマークの発生を遅らせる事に成功する。そのころ、NSU社はそのような技術を開発できていなかった。続いて、東洋工業は、新幹線の架線からの集電装置用に開発された、パイログラファイトというカーボン材に着目、これと錫を組み合わせたアペックスシールを開発、さらに、チャターマーク発生を遅らせ、続いて、アルミとカーボンを組み合わせ、耐摩耗性と低攻撃性を両立したカーボンアペックスシール[図11]を完成、市販状態のエンジンとした。チャターマークは、結果的にNSU社、東洋工業共に、カーボンアペックスシールにより解決した。しかしマツダは1972年より2分割の金属性アペックスシール[図12]に切り替え、更なる摺動性の向上による、圧縮性、耐久性の向上を図った。
 ロータリエンジンを研究する企業は増加し、ポルシェ、GM、日産、トヨタ、シトローエン、フォードは、自動車用の開発を、鈴木、川崎、ホンダ、ヤマハ、BSA、ハーキュレス、ノートン、バンビーンなどが二輪用を、ロールスロイスは戦車用、現在ではボーイング社の系列である、カーティスライト社は、航空機用を開発するに至り、ヤンマーは、ディーゼル、バイク用、チェーンソー用を開発した。
 各社とも、ロータリエンジンは近未来の比較的小型エンジンの理想形だとし、ロータリファミリを形成するにいたった。しかし、オイルショック以後、開発競争は影を潜めた。東洋工業以外のロータリエンジンは、東洋工業ほどの発展を見せていない。
 現在では、日本は大阪の小川精機[図13]、日東工作所、外国では、ドイツ、イギリスのバックヤードビルダが細々と生産を続けてはいるが、ロータリエンジンはマツダ、マツダのロータリエンジンといってよい状況である。
 ロータリエンジンがオイルショック後に敬遠されるようになったのは、燃焼室表面積が大きく、熱損失が大きいという欠点に大きな要因があると思われ、また、エンジンの量産がマツダのみであり、シール性能の向上が、レシプロエンジンより大幅に遅れたという事にあると思われる。

図8~12は、すべて、編者 山本健一氏のロータリーエンジンからのものですので、掲載は控えます
  図13は、後日、貼り付けます 



東洋工業=マツダとロータリエンジン へ
東洋工業=マツダとロータリエンジン



 東洋工業は、ロータリエンジンの機構を、基礎から検証し、そこから製品開発していく事にした。そのために、市販開始までに6年間が費やされた。小型軽量で高回転での出力や低振動性などは優れているが、低回転での不整燃焼、それに伴う、振動発生、そして燃料消費の多さが、問題であったが、サイド吸気方式の開発、ロータリ用の保守整備の簡単なキャブレタの開発などにより、次々に問題を解決した。そのために得られたデータは膨大な量になった。品質評価方法も次々に開発していった。従来のレシプロエンジンでは考えられない、シール摺動速度、燃焼特性などが明らかになった。レシプロエンジンでは、中速まではスキッシュを利用すると、燃焼速度が上がるが、ロータリエンジンの場合は、トレーディング側から発生するスキッシュは、リーディング側に噴出していき、クエンチさせてしまう。シール摺動特性は、レシプロエンジンのように上死点、下死点で停止する事は無いが、平均摺速は、同一出力、回転数、クラスの比較で、レシプロエンジンより10m/s以上早い数値となる事が一般的である。エンジンの1サイクルが終わる期間は、レシプロエンジンの180°に対し、270°あり、各行程に時間的余裕があり、バルブ機構が無い事とあわせ、これが、吸入効率や排気効率が良い事に起因している。
 自動車用エンジンの販売は、まず、NSU社の497cc・1ロータエンジン搭載の、スパイダ[図14]が、世界初の量産車となった。続いて、1967年には東洋工業が、世界初の491×2cc・2ロータエンジン[図15]搭載のコスモスポーツ[図16]を発売した。以後、東洋工業の開発は順調に進んだ。国内での使用を考えると、低速性能は無視できず、それが結果的に優れ、使いやすいエンジンの開発につながる事になった。また、アメリカではじまる予定であった排ガス規制の存在もあり、東洋工業はロータリエンジンと、ガソリンレシプロエンジン、イギリス、パーキンス社と共同開発であったディーゼルレシプロエンジンの開発と、三種類の自動車用エンジンの開発で、開発状況はひっ迫を極めていた。ロータリエンジンの燃費の問題は排気量、形状からは想像できないほど発生される出力に隠れ、問題にはならなかった。市販開始当時、熱によるハウジングのゆがみや、極冷間地での、シリコンゴム膨張によるオイルシール破損、イグニッションキーオフ時の空ぶかしによるアペックスシール破損が発生したが、即座に解決していった。
 NSU社は東洋工業と同じ、1967年、497×2cc・2ロータエンジン搭載セダン、後のアウディ80シリーズにつながるRo80[図17]を発売したが、NSU社からのロータリーエンジンを搭載した新車種の発売はRo80が最後になってしまった。NSU社の研究開発の主眼は、東洋工業とは違い、高回転、高負荷状態での使用を主に考えられていた。そのため、冷間時の耐久性は、十分ではなく、エンジン始動後、冷間時の走行、高負荷を与える事により、シールが異常摩耗するという、実用性の決如により、エンジン回収が相次いだ。
 以後、NSUとシトローエンの合弁会社、コモータから、シトローエンGSのロータリバージョンが発売されてはいるが、NSU社はアウディに完全吸収される。アウディは1970年代までロータリエンジンの開発を続け、燃料作動室内直接噴射方式の層状吸気システムを発表しているが、それは、東洋工業やGMなど大手提携先に対するメンツを維持するため、といった感のみの物であった。
 1970年代初頭には、日本の日産、トヨタ、アメリカのGM、西ドイツのポルシェ、メルセデス・ベンツ、イタリアのアルファロメオがロータリエンジンの自動車搭載を目標とした計画が進められたが、1973年におきた石油ショックの影響で、各社とも計画を中止している。
 対して、東洋工業は、コスモスポーツに続き、1968年以降、ファミリア[図18]、ルーチェロータリクーペ[図19]を、1960年代に発売し、カペラ[図20]、サバンナ[図21]、二代目ルーチェ[図22]と1972年までに、6車種のロータリエンジンを販売開始している。エンジンも、コスモスポーツ、ファミリア、サバンナに搭載された491×2cc・10A、ルーチェのみに搭載された、655×2cc・13A[図23]、カペラ、サバンナ、ルーチェに搭載された573×2cc・12A[図24]、さらに、1973年には654×2cc・13B[図25]エンジンがルーチェに搭載され市販が開始される。研究開発の進度が他社に比べて早かったことが読み取れる一例である。

図13~21は、すべて、一般出版物からのものですので、掲載は控えます
  図22、24は、後日、貼り付けます 



1970年代以降のロータリエンジン へ
1970年代以降のロータリエンジン

ロサンゼルスの大気汚染に端を発した、カルフォルニア規制により、HCの排出量の多かった、ロータリエンジン搭載車はアメリカに上陸できない恐れがあったが、サーマルリアクタ[図26]による、HC、COの再燃焼処理により、無事にアメリカでの販売を始めた。続いて、開始予定であった、アメリカマスキー法の存在は、世界中の自動車メーカにとって、脅威といえる排気ガス規制であったが、と東洋工業は本田技研工業と共に、マスキー法にいち早く合格し、低公害エンジンとしても、脚光をあびることになった。
 当時、レシプロエンジンは、排ガス対策処理を行うと、大幅な、性能低下が見られたが、ロータリエンジンは、出力の低下はなく、燃費の悪化のみが見受けられたにとどまり、新世代の夢エンジンと賞賛されていた。生産台数は毎年増大し続け、1972年には、実に24万台もの生産数を誇った。1972年発売のルーチェには当初から低公害車が設定され、量産車として世界で最も清浄化された排ガスを排出する車となり、国内低公害車優遇税制第一号車に認定される。しかし、オイルショックにより、ロータリエンジンの生産台数は大幅に減る事になる。
 初代ロータリエンジン研究開発部長の山本健一氏の言葉を借りれば、1960年代が“寝てもさめても開発を”であったとすれば、1970年代は、“何が何でも性能向上を”であったといえよう。 
 当時、アメリカEPAの燃費試験で、カペラ,サバンナは、アメリカンV8エンジンよりも悪い燃費とされ、東洋工業は、これに反論したため、メディアからも批判をうけ、賞賛は、一転した。1973年、松田耕平社長は排ガス浄化システムREAPS-3を搭載した、ルーチェ、カペラ、サバンナの3車平均燃費に対し、2年間で40%の燃費改善を行うと宣言する。
 サーマルリアクタによる排ガス処理とは、ロータリエンジンの最高燃焼温度が低い事を利用し、NOxの発生を抑え、平均燃焼温度が高い事を利用し、HC、COを、エンジン外で再燃焼させる構造であり、排ガス試験を行われる中速域まで、通常の混合気よりも濃いガスを与えて対処していた。ロータリエンジンは、市販開始当時より、市街地走行などで、燃費が悪いという面があったが、排ガス処理のため、一段と燃費が悪化していた。
 サーマルリアクタ制御の最適化や作動室形状の変更などにより、1974年には20%燃費を改善したREAPS-4を量産し、公約通り、1975年には、サーマルリアクタで発生する熱をエキゾーストポートに噴射する二次噴射空気にコンバートする熱交換器の採用によるサーマルリアクタの反応促進、点火プラグ位置の変更、点火時期の進角、コンピュータの制御変更などで、40%以上の燃費改善を実現する事になる。その後も、改良を重ね、減速時、混合気をシャッタバルブで、片方のロータのみに供給する事により、未燃ガス排出低減と運転性能の両立を図る減速装置、EGR、希少燃焼方式を採用し、サーマルリアクタを排ガス処理に採用した、1978年に登場したサバンナRX-7では、REAPS-3に対し、68%もの燃費改善を実現している。その後、東洋工業は、排ガス処理をサーマルリアクタ方式から、三元触媒方式へと転換し、吸気タイミングを量産開始以来の2ステージから3ステージへと、多段化、さらに、ターボ搭載などを行った。それにともない、アペックスシールはシール形状の変更[図27]、3ピース[図28]へとなり、よりいっそうのシール性能の向上をはたした。シールの改良は、クラウニング形状による、運転時に摺動面のゆるい円弧形状が直線になる事を利用した気密性の向上対策と、多ピース化によるシール端部の吹き抜け防止、シール摺速の変化に伴う摺動性低下の低減を図った。オイルシールはOUT側の内部材がシリコンからフッ素へと変更になり、エンジンの高性能化に伴う熱負荷の増加に対応、つみかさねによる基礎性能の向上が出力と、燃費向上に結びつき、1990年には、世界初3ロータターボエンジン[図29]搭載車・ユーノスコスモ[図30]を発売している。1991年には3代目RX-7がされた。
 ロータリエンジンには、ルーチェとコスモ、RX-7が改良されるたびに、点火系や、細かいところへの改良が、実施されていたと言っても過言ではなかった。
 しかし、1996年、マツダが業績悪化のため、フォードが33.4%、マツダの発行株式を取得した時点で、ロータリエンジンの開発予算は大幅に削られ、研究開発の続行が困難な状況になってしまった。しかし、1998年には、RX-7用13B-REWの摺動面へのオイル供給、応答性の向上を含んだ改良により、エンジンの280ps化を行う。しかし、それ以後、月販300台前後のRX-7にそれ以上のエンジン改良は行われず、排ガス規制の影響で、2002年8月、24年、3世代にわたって続いたRX-7[図31]の生産が終了した。そして、1967年以降続いた、マツダのロータリエンジン量産が途絶えた。

図22~31間の、一般出版物からの画像はすべて、掲載、控えます
  広報資料からの画像は、後日、貼り付けます 



現在のロータリエンジン へ
現在のロータリエンジン



ロータリエンジンの開発が止まる直前の、1995年、東京モータショーには一台のロータリエンジン搭載試作車が展示された。呼称はRX-01[図32]、次期RX-7であったといわれる車である。1993年より開発がはじまったエンジンには、大幅な改良が加えられ、新たにサイド排気方式の採用により、大幅なポート開閉時期及び面積の見直しが可能になり、エンジン出力向上、燃費改善、有害排出ガス濃度の低減が可能になっていた。しかし、開発は予算不足のため進まない状況で、市販時期は未定であった。一時期は市販計画車種からロータリエンジン搭載車そのものが消えた時期があったという。市販予定のないエンジンには予算などつくはずもない。しかし、開発は再び始まる。エンジンは来るべき新世紀に備え、さらに、大幅な基本性能の向上が図られた。そして、新しいシャーシを想定し、開発が続いた。
 フォードは方向転換をし、それぞれのメーカの個性を大切にするという方針を打ち出し、これにより、ロータリエンジンの存続が決定されたのである。
 そしてついに、2003年、新型ロータリエンジン13B-MSP“RENESIS”[図33]がRX-8[図34]でデビューする。


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図33 13B-MSP”RENESIS”

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図34 RX-8


エンジン許容回転数は9000rpmとなった。このときの、アペックスシール速度は、平均32.9m/s、瞬間最高速度では、47.1m/sにも達する。
 これは、特殊なレシプロエンジンでは、まず実現できない数値であり、ロータリエンジンの特異性が良く表れている。
 13B-MSPの、エンジン本体の主な改良点は、東洋工業時代から、使用続けてきた、ペリフェラル排気ポートをサイド排気ポートに改めた事[図35]が、大きな改良点である。

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図35 排気ポート位置の変更

モータスポーツ用としてはペリフェラル排気ポートのほうが優れているが、サイド排気は、排気ポートの開時期をペリフェラル排気よりも遅らせる事ができるので、熱効率の向上が可能である。サイド排気は、膨張行程を伸ばす事が可能であり、さらに、オーバラップが始まる時期をも遅らせるようになり、吸気ポートの開時間を増やしても、低速、高速性能の両立がはたせる、利点があった。このサイド排気は、東洋工業では、1965年から70年まで、GMでも、東洋工業とロータリエンジンに関し技術提携した1970年代半ば、市販ロータリエンジンの性能向上には欠かせない物として、研究をすすめた。10Aを用いたデータが残っているが、トルクが4000rpm時に0.5N・m程低下したが、燃料消費率は3000rpmでは8g/ps・hほど、2500rpmでは実に20g/ps・h低減されるのが確認されている。[図36]しかし、当時の作動室内へのオイル供給が、現在の分離給油式2ストローク・スクータのようなプランジャを用い、アクセル開度とエンジン回転数で吐出量の制御を行うのと、オイルの吐出位置がキャブレタであったことと、オイルシールからのオイル流入水準では、ポート付近に大量のカーボンが堆積してしまった。またオイルシールの内部のゴムが高温にさらされ、焼損してしまう問題点があり、市販はできなかった。しかし、排ガス性能の利点は確認できていた。現在では、ステップモータを用い、応答性に優れたオイルノズルとを組み合わせた、吐出制御と、オイルシール性能の向上により、今回の13B-MSPから、サイド排気が採用できるようになった。オイル供給ノズルは1本から2本[図37]になり、摺動、気密性の確保と、カーボン発生の低減の両立が図られている。また、排気ポートへの、新気の吹き抜け、トロコイド摺動面潤滑オイルの掻き出し、未燃焼ガスの排出[図38]がなくなり、排出ガスのHC量を従来の1/3以下に減らせるようになった[図39]。

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図38 炭化水素を吐きだす仕組み

また、ロータリエンジンの弱点であった軽負荷時運転すなわちアイドル燃費と常用領域での実用燃費は、プライマリ吸気管の壁面に付着する、燃料をジェットエアにより吹き飛ばすと[図40]共に、小型12孔噴射インジェクションによる燃料の霧化促進、作動室内への吸入空気気流改善[図41]を果たすことにより、常用領域で使用され続けていた燃焼安定のための増量補正は廃止され、理論空燃費での運転が可能になり、13B-REWに対し最大で40%の改善[図42]がはたされている。

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図40 ジェットエアノズル


 次の改良点は、シール性能の向上にある。1985年から用いてきた、3ピースアペックスシールよりも、更に質量を減らし、追従性を向上させ、更に微量のカーボンを含有させた2ピースアペックスシールを採用し、摺動面端部の形状の変更を行った。他、コーナシールには、耐排ガス温度向上のために、挿入材がエポキシゴムから金属プラグに変更になり、コーナシール側面にはダイヤモンドライクコーティング処理を行い耐久性向上が図られている。また、サイドシールは従来のプレーン断面形状からキーストン形状に変更され、耐カーボンスティック性が大幅に向上した。量産開始当時、オイルシールは、内部にシリコンゴムが採用されていたが、エンジンの高性能化に伴い、IN、OUTの二本あるうちのOUT側はフッ素になっていたが、13B-MSPでは、サイド面の熱負荷が大きくなったため、IN、OUT共にフッ素が採用されている。さらに、ブローバイカットオフリングシールが、オイルシールの外側、サイドシールの内側[図43]に配され、ロータとサイドハウジング間に流れる、ガスを低減させている。ロータ本体には、鋳造精度を高める事により、13B-REWに対し5%の軽量化で高回転化とレスポンスの両立を果たし、出力向上のためにロータトレーディング側サイド端部にフランクカット[図44]を採用し、15psの出力向上を果たしている。

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図43 シール配置位置


 エンジン本体以外の改良は、吸気系が3タイミング5ステージの総合可変吸気機構[図45]を採用した。

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図45 総合可変吸気機構 ”S-DIAS”

回転数により、吸気時期および、吸気管の長さが変わる[図46]、自然吸気エンジンながら、ロータ間の位相が180度である事を利用し、吸気ポート閉時に発生する圧力波を、開いている吸気ポートに導き高回転時に、動的過給効果が得ている。サイド排気システムを採用した事により、吸気ポートは、13B-REWより30%ポート面積を拡大できた[図47]。

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図47 ポート拡大

排気側はチャンバ形状の改良、排気管のストレート化、消音器の容量拡大により、消音性と出力低下の抑制の両立を実現した。吸排気ポートの変更、吸排気系も含め、以上の改良により、75psの出力向上を果たし、13B-REWベース時と比較し、90psの出力向上を果たしている。エンジン制御には32ビットパワプラントコントロールモジュールを採用し、高精度空燃費制御、電子スロットルを含む高精度エンジン制御を実現した。
 13B-MSPは開発開始より、10年以上の時を経て、実用化にたどり着いた。ベースエンジンの性能としては、三代目RX-7の1.5倍以上の出力向上と、1.4倍の燃費性能の向上を果たしている。
 今、ロータリエンジンには再び転機が訪れようとしている。RX-8は量産開始以来、18ヶ月で生産台数を10万台とし、発売から一年経った、2004年に入っても、国内月販台数は平均で1000台以上、全世界月間販売台数は5000台をキープし続けている。
 来年度中には確実にマツダのロータリエンジン総生産台数は、200万台を突破する。次期RX-7が現実のものになりつつあり、更に、近未来の次世代動力として、水素ロータリエンジン[図48]の存在がクローズアップされつつある。
 20世紀より、断続的に、水素で作動するロータリエンジンを研究していたマツダは、1990年代後半は、資金不足により、一時、開発中断の時期があったが、現在は、電動過給機構と、電動補助動力を水素ロータリエンジンと組み合わせ、さらに、ガソリンでも走行できるよう開発を進め、現在、公道上を試験走行中で、2006年度中のリース販売を目標に、現在急ピッチで開発が進んでいるという。
 これからのロータリエンジンは、いつか、どこかで、対処療法的な進化ではなく、抜本的な材質変更、DICSと呼ばれる、ガソリン、灯油、軽油、アルコールといった、良質、低質燃料のどちらでも運転が可能な、層状吸気方式の採用などが行われるのではないかと思われる。



図32~48間の、マツダ株式会社発行本に関して、HPへの転載許可はとれていません(2005/6/2)。また、一般出版物からの画像もすべて、掲載を、控えます。
 広報資料からの転載はしました。ご指摘がありましたら、ご連絡ください。すぐさま、差し替えます 



ロータリエンジンとモータスポーツ へ

ロータリエンジンとモータスポーツ

 ロータリエンジンは、誕生と同時にヨーロッパのモータスポーツに参加し始めた。
1968年に、東洋工業は、西ドイツ、ニュルブルクリンク・マラソンデラルート84時間耐久レースにコスモスポーツで参戦[図49]、初戦で、総合4位完走を果たしている。この時、既に、NSU社よりも良い成績を残している。翌年は、コスモにかわりファミリア[図50]で、レース活動を行い、ニュルブルクリンクでの84時間耐久レースはリタイアしたが、24時間耐久レースにおいて、4位完走を果たす。
 サバンナRX-7は、1981年には、スパ24時間で、また、1979年から81年まで、イギリスサルーンカー選手権チャンピオンになっている。
 オーストラリアでは、R100(ファミリア)、RX-2、3、4、5(カペラ、サバンナ、ルーチェ、コスモ)が人気で、モータスポーツ活動も盛んであった。RX-7は、1982年から1984年まで、耐久選手権のチャンピオンとなり、1992年から94年まではバザースト12時間耐久レースで総合優勝を飾っている。
 東洋工業ワークスチームは国内レースに、1970年より参戦しはじめ、ファミリアからカペラ[図51]へ、そして、1971年式サバンナでついに国内最強のツーリングカーとなり、1976年には、100勝目をマーク、通算100勝以上を記録している。国内では、単一車種で100勝以上している車種はサバンナ[図52]以外にはない。
 富士グランドチャンピオンカーレースには、1970年代前半、12Aにより参戦していたが、BMWなどの純レーシングエンジンに比べ競争力は低かった。1976年より、13Bでの参戦が可能になり、ついに、チャンピオンエンジンになる。
 国内でのその後は、グループC、RS、シルエットフォーミュラ、JSS、JGTC、N1耐久、現S耐などに参戦しているが、1970、80年代のような目覚しい活躍は見られていない。現在は、マツダのモータスポーツ活動縮小政策のため、JGTと現S耐久にプライベータが参戦しているのみである。
 アメリカでのワークス活動は、RX-3から活発化している。RX-3の後を引き継いだRX-7[図53]は、デイトナ24時間レースを含むIMSAシリーズで活躍した。1990年には単一車種で通算100勝を記録している。この記録は1995年のIMSA消滅時までに、117勝まで伸び、ポルシェを優に凌ぐものであり、ロータリエンジンの優れた高速性能を表しているだろう。ただ、近年は、マツダの支援が打ち切られた事などもあり、カンナムカーでその姿を見せるにとどまっている。プライベータでは、ドラックなどにも参加している。
 ルマンには1970年に初じめて登場し、以後、マツダスピードを主体とし参戦を重ねた。
 1970年は、シェブロン製シャーシに日本から借与された10Aエンジンを搭載したマシンが、ベルギーチームより出走したがリタイアしている。
 1973、74年は、シグマ(現サード)とマツダオート東京(マツダスピード)のジョイントチームが出走したが、リタイアしている。翌1975年は、当初、マツダオート東京のエース、寺田、岡本両氏がサバンナRX-3により参戦予定だったが、オイルショックの影響により、計画は中止、マシンがフランスチームに貸与され、参戦しているが、リタイアしている。1979年、ついにサバンナRX-7シルエットフォーミュラ[図54]がマツダスピードによる参戦を始めた。
 1980年、IMSA仕様のRX-7が、ロータリエンジンの初完走を果たす。1982年に東洋工業チームとしては、初完走後、グループCにステップアップ、以後、毎年、参戦を重ねた。
 当初、13Bで参戦していたが、1986年に、3ロータ、13G搭載の757[図55]で参戦を開始、1988年には、4ロータが登場し、1990年、4ロータエンジンの最終進化型、R26B[図56]を搭載した、787が参戦し、ついに1991年、787を改良した787B[図57]が総合優勝を飾った。

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図47 マツダ787B


 マツダのレース活動は、海外においては、耐久レースが主体であった。それは、ロータリエンジンの耐久性を示し、信頼を得るという戦略があったからであろう。マツダのレーシングロータリの歴史は日本の耐久レースの歴史と言っても決して過言ではない。世界三大耐久と呼ばれる、デイトナ、スパ、ルマン、という、世界の24時間耐久レースで優勝、好成績を収めているからである。

図49~56間の、マツダ株式会社発行本に関して、HPへの転載許可はとれていません(2005/6/2)。また、一般出版物からの画像もすべて、掲載を、控えます。 

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  1. 2004/10/02(土) 08:09:52 -
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