がくのロータリー人生

二代目マツダルーチェと三代目プレマシー、ファミリアバン、C56に乗るがく




さよならおじいちゃん[でも結局は子供みたいな大人の雪遊び]




マツダRX-8 雪の中
急用ができて急遽、十日町に行ってきました。
書こうか書くまいか、結構考えたんですがあたし障りのない様に少しオブラートに包んで書きます。

サングラスをかけていないと白くて遠くがよく見えない関越道
行きはアクセラでした。
DSC01824va.jpg
結構すごい雪でサングラスをかけていないとどこが道路で、どこからが除雪が不十分かわからない箇所も、
多々あり。
十日町は約3mの大雪

何しに行ったかといいますと、
自分に機械の面白さ、ロータリーエンジンの楽しさ、酒を教えてくれ、
男たるものと教えてくれ、自分も大好きだった祖父が現世を終えました。
この日記にはもう直接的には登場する機会がほぼないと思うのですが、
この先を読んで頂いた方は、へぇ、そんなおじいさんも居たのねぇ、と思ってただけたら、幸いです。

RX-8の雪遊びは一番最後に書きます。

祖父は
戦前、旧制十日町中学卒業の後、浜松高専機械課を卒業、18歳で自動車免許を取得し中島飛行機に入社。
海軍に転出。宇佐海軍航空隊を技術中尉にて除隊。
海軍では、調子の良いトラックを自分の車のように乗り回し、停めておくときは、
ディストリビュータの駒を抜き取ってエンジンがかからないようにしてしまったとか、
備品のお酒を上官命令を発して拝借したり、と厳しい世情ではあったものの、好き放題やっていたようです。

顔見なりが自分にそっくりだったという祖父の兄がシベリアより帰還するも半年で亡くなり、あとを追う様に祖父の両親がなくなり、農地解放により、十日町とある地域の土地を大部分失うが、
地元に呼び戻され十日町で生きて行くことを決意。
元来持ち合わせた頭の良さを生かし、
滝文というかつて、十日町の三大機織り屋さんの中の一角である機織屋さんで
機織機のリバースエンジニアリング的な、
設計での新型機を造るに当たり、図面を引いて三条の鋳物工場まで滝文さんが持っていた自動車を使い、
ドライブするなどして仕事をしたそうです。
そののち、母校、現 十日町高校に数学課教師として就職。
数学を教えるだけにとどまらず十日町の主産業である着物を効果的に宣伝するのには、
甲子園のアルプススタンドに十日町の幟を飾れば効果的なんじゃないか?
という大きな夢を実現しようと羽振りのよかった機織組合と結託しスポンサーになってもらい、
道具をしこたま買い込み、自身は監督になり出ると負け、炭団山だったチームを2年連続ベスト8になるまで強化して、
さらにチームを強化するために合宿所を造ろうとして、
そんな事は公立校なんだからやっちゃだめだと止めに入った校長を、
持ち前の短気さが爆発し手を出して.....とか、実力があったから許されるようなことも結構していた様です。
はたまた、郷土の発展のためには、まず、すぐれた人材を輩出する必用もあると、
事有る毎に発議し、みんなで協力して最終的には特進クラスを、
半世紀近く前の十日町高校で実施したそうです。

過去の十日町高校の新聞「南陵新聞」には、

'60年代に、「進学の指針」(PDF 5頁目)
http://www.tookamachi-h.nein.ed.jp/gakkouseikatu/jukkoushinbun/67_jukkoushinbun.pdf
などという、連載をしてみたり、高校野球の夢が一時終了した次は、
そういう事に熱心になっていたそうです。

一応国会議員を輩出するなど国公立大への進学に関して一定の成果もあったが、
これまた、組合の方針とは合わない事もあり、
「あいつをつぶせ!」とやられ、いろいろ大変だったそうです。

新潟随一の花街、古町で接待してとかそういう仕事にも手を染め、
十日町高校・実業高校・川西高校、近隣の高等学校ではどの学校でも教えたことがあるそうで、
昔だからそんなことが出来たんだろ、という内容も多いけど、いろいろすごいなぁと思わせる祖父でした。

高校野球の件は、戦力のピーク、第一次が祖父が監督だった頃だとすると、
二次は'80年代の県大会二位の頃、そして、2001年、第83回にて、甲子園に行ったのが大きな山
だったのではないかと思います。
戦力的には’80年代、そして2001年、の方が圧倒的に強かったと思いますが、
最弱校がベスト8まで行く、というのもそこまでたどり着くには、そこそこの労力があったはず。
甲子園には、祖父も行って、負けたけれど、でれてよかった、素晴らし経験だったと思います。

退職まで異動の話を断り続け平の職員ではあったけれど、
一応、実力者だったので退職後には教育委員に推薦されて引き続き地域の教育に関わり、
図書行政に結構、興味があり、祖父は、自分の住む日野の図書館に視察しに来たこともありました。
教育委員を辞した後は菩提寺に鐘楼を建てようと寄付集めに奔走してました。
観泉院の鐘楼
大体やることなす事、強引で恨みを買う事もあったと思うのですが、
本当に行動力のある祖父でした。いつも何かをしていました。

そんな祖父には、夢を持って、あきらめなかったら、いつか、風が吹く日も来る、夢は叶う、
というのを背中で魅せられた気がします。

そんな祖父が大好きでした。
なぜだか知らないけれど、小さい時から。
祖父の興味あるものに同じように興味を持ちました。
一番影響されたのはマツダ。

中島飛行機関係者だっったわけで、普通だったら日産かスバルの車に乗る所、
だと思うのですが、なぜかマツダ。
'60年代に初代ルーチェに乗り始めたのを皮切りに、マツダ一筋。

そして自分が生まれたころに乗っていたクルマが、
HB型ルーチェ
 HBルーチェと、
マツダルーチェと秋山郷の鳥甲山
 LA22S ルーチェロータリー。
アユ釣りとか、そういう時に使う用としてロータリーのルーチェをとっておいたらしいんですが、祖父も
ロータリーのビューンとまわる動力性能には大満足していたようで、
そういう事を3歳児くらいの自分に自慢げに話てみたり、山道に行ってはブンブン、
今のマツダ流で言えばzoom-zoomしていたのでした。
その頃、父がシルビアとかコロナGT2ドアなど、そこそこスポーティな車に、
乗っていたことも、逆にロータリー車を好きにさせる要因だったのかもしれません。
だって、直線だけの刺激ならロータリーの方が多かったでしょうからねぇ。
そう、祖父の方が子供を乗せて思いっきり運転していたと思います。飛ばす飛ばす。
センターラインの黄線な場所でも遅い車は抜いていたのを強烈に覚えています。

だからロータリーはすごい!!!!と三つ子の魂 百まで状態になりました。

祖父にはほかの孫も居ましたが、そういう事に反応するのは自分だけで、
こっちは、面白い事をしてくれる祖父と認識し、
祖父もなかなか面白い子供だ、と思っていたんだと思います。
祖父は新しいもの好きでもありましたので、
ナショナルマックロードNV-150
ナショナルVHS アクションマックロード NV-150・マックロードムービーVZ-C70があって、
それで撮ったビデオに名前付きで保存されて居るのは、
孫の中では自分の名前の物しかない、
祖父の保存してあるビデオの棚
岳人の記録、岳人の運動会、岳人いわな釣りなどなど。
お互い、相思相愛だったと思います。

小学生になる頃、祖父と自分はある一つの約束をしていました。
「お前が免許をとる頃にはロータリールーチェをお前にやる」と。

でも、塩カル撒き放題の新潟では、全塗装を2回おこなってもサビサビグサグサになり、
あえなく廃車に。

自分が20歳を過ぎ、ガソリンスタンドとミニSLの機関士をして貯めたお金で、
北海道でルーチェを買って、初めて十日町に行った時の祖父の喜びようは、
大きなものでした。
はじめてルーチェで行く十日町は、三国峠では雪。
雪の三国峠にルーチェで
内緒で祖父の家に行って、わざと玄関から、
その特徴的な鼻先が見れるように止めて、驚かせたのはもう11年位前の事。
祖父の親しかった方から式の時に聞いた話によると、
はじめて十日町にルーチェで行った時
「俺が昔のってたロータリー車にがくが乗ってきた」
と嬉しそうに話をしていたそうです。事あるごとに自分の事をしゃべっていたそうで....

ワタクシも、所構わず仲のいい人には、祖父の話をしていたようで、
ミニSL関係や学校の友達にも、相当話していたみたい。
義理の父母に初めて会った時は、酔っぱらっ状態で祖父に電話までかけちゃったし。
一昨年のお盆にはカミさんを初めてお盆の夜のお墓参りの時に、
連れて行った宴席で、
お袋をはじめとする四兄弟とその連れ合い、みんながいる中で、
「がく、お前は俺の息子だ、最後の子だ」
なんて言ってくれていて。

10年前の中越地震の後、胃潰瘍になってから徐々に、
体調を崩していきましたが、趣味趣向が比較的にている自分が、
年齢的には大人になってからも、いろんなものに興味を持ち、
祖父自身ももう少し若ければやってみたい、なんていうモノ、興味ありそうなものに手を出しては、
ある程度うまくなるなど、特に結婚式で準備した映像などは手放しで褒めてました。
「素人じゃないな」と。

ぶつかることもあり、特にミニSLに関しては、
「乗るのもいじるのもいい、いい趣味だ。いい機関車が手に入ってよかったな。
ただその頻度はなんだ?
お前は頑張りどころがずれてるぞ、気に食わん!」なんていわれたこともあり、
やっぱりなんだかんだで、会うのを楽しみにしていました。
おこられることに関してだと、これまたいっぱい怒られました。
自分はかわいい孫のはずだったんですが、祖父の家で、
覚えている話だと、祖父の家には池がたくさんあって、裏山から湧き出る、
清水が豊富で、小さい時は遊びに行くたびに、水車を造ってみたり、
船をつくっていったりしていましたが、祖父の家でいたずらをしていて、
それが祖父が気に食わないものだと、容赦なく怒られました。
おっかなかったなぁ。
でもそれでやりたいことをやりたいようにやる術を、さづけていただいたような気もします。
今日はだいぶいつもに増してポジティブ思考回路にてつらつら書かせていただいてます。
祖父自身、自分にいろいろ影響を与えたと思っていたようで、
なかなか結婚できない自分やその両親に対し、
「がくの人格形成に、親じゃない俺が大いに影響している。これでよかったのかな?」
なんて言っていたこともありました。

マツダファミリアバンと魚沼スカイラインのコーナー
歳は歳でしたが、去年までファミリアにのっていたし1月までは、十日町に住んでいました。

そんな祖父が、まだ危篤状態では全然ない状態で、おじさんに対して、
亡くなる前日、
「俺は明日、逝く。家族を呼べ!呼ばないと、お前は一生後悔するぞ」とずいぶんな剣幕で迫ったそうで、
そんなぁ~また冗談を思っていたら、翌朝朝ごはんを食べ終わったら、
ぽっくりと。

はぁ、そんなこともあるんですね。

という事の顛末、書かなくてもいいような気もしましたが、
書いてしまいました。
義理の親さんとか、多分また読んで頂くと思うんですがそういう具合でした。
もう、おめぇは女か?というぐらいグズグズ、北の宿から状態でしたが、
灰になっちゃうと、そんな気持ちはどこへやら。
そんなこんなで帰り道です。

マツダRX-8とアクセラ
昨日夜22時の積雪は観測点で294cm雪のある十日町。
至る所で3mの雪がある感じで、雪が多いなぁと思いました。
マツダアクセラで行きましたが、帰りはおらだけ一足お先に。
雪が多くて後輪駆動車だと十日町近辺で行動するには大変な場面もある、という事で運よく、
車両をチェンジ出来ました。
やったねうひょひょ。不謹慎かもですが。

マツダ RX-8 雪の中にて '15
マツダRX-8で帰ってきました。久しぶりに乗る雪道でのロータリー、雪道とRX-8やっぱり最高でした。
最近は汽車汽車とそっちの比重が高い感じなのですが、
マツダRX-8 路側にて
やっぱりクルマは素晴らしい道具であり最高の大人のおもちゃだと思いました
己と向き合う時間が出来て良かったです。
マツダRX-8で雪の中を超楽しくドライブ
左コーナをなんとなくコーナーの内側を向いて走っているような気がするのは錯覚で、
マツダRX-8で雪の中を楽しくドライブ。
その次の右コーナー始まるまでに姿勢を整えて、
いる感じですが。もしかしたらその瞬間は間違いなくカメラがばぐったのかもしれません。
カミさんと子供がいるだから自重して大人しく走りました。行き帰りは楽しい、十日町行。

人生たった一度きり、子育てを第一にもっともっと思いっきりやるぞ、と思った週末でした。
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  1. 2015/02/15(日) 17:15:45 -
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