がくのロータリー人生

二代目マツダルーチェと三代目プレマシー、ファミリアバン、C56に乗るがく




飯山線SL写真集-SL飯山線の記憶・SL残照-十日町在住の方が創ったC56の写真集たち




飯山線にSLが40年振りに戻ってきて、十日町の盛り上がりっぷりを見たら、
久しぶりに1067mmの軌道の上を走るSLへの興味も復活してきた、今日この頃。
幸い、戦後飯山線で運用されていたC56に対する興味だけで済んでますが....

今日は、飯山線を走った蒸気機関車をクローズアップした、
2冊の自費出版写真集の事を書いてみようと思います。

まずは、
会長の写真集 SL飯山線の記憶 SL飯山線の記憶。木村喜郎 著

飯山線SL運行を応援する市民の会、会長でもある木村さんの写真集。全26頁
全編写真集。
現役当時のSLがキャプションのないページページに所せましと踊っています。

木村さん、普段は十日町の地場産業、着物事をしていますが、
休みの日になれば大きな連休を作って北海道の三笠にいって、S-304 蒸気機関車を操縦するほど、
SLが大好きなおじさん。
詳細はトウカマチウェブ

飯山線SL引退当時は働き出したころだったそうですが、
SLに打ち込んでいたんだよ、というのが写真から伝わってきます。
この写真集は、飯山線SL復活以前に、お遊びで造った写真集だったそうですが、
SLが十日町に来るにあたり、みんなに自分の写真を見てほしいなぁ、という事で増刷した写真集です。

一部自分の手元にもありますが、地の利を生かした写真だ!
という感じの躍動感あふれる写真がたくさんな写真集です。
C56が活躍する飯山線の当時の姿がそこかしこにあります。
いろんな写真が載ってますが、十日町-土市間の羽根川鉄橋付近を単機で走るC56、いいですねぇ。
自分もかつてキハ52,58を眺めていた鉄橋を渡るSLの姿、最高です。
写真集は白黒ですが、その元ネタの写真はカラーで撮影されたものもあって、
それはネットのトウカマチウェブのページで使われてたりしてるのですが、
息使いが見えるような写真、“動”な写真が拝めます。
まだまだお宝写真がありそうで、いいなぁ。
お勤めになっていいる着物会社の200畳の畳敷きのショールームに至る廊下にも写真が貼られてたり、
この方は、SLの対する趣味をみなさんが理解し、支えてくれている感じがしました。

いい写真集だと思いました。
いいなぁ、現役当時に飯山線を走っていたシゴロクが見れて。


そして、
SL残照 登坂良雄 遺作鉄道写真集 登坂健二郎 編著 SL残照 登坂良雄 遺作鉄道写真集 登坂健二郎 編著

十日町の眼医者さん、登坂医院のご長男が中学生の頃撮りためたという写真です。
登坂さんは医学博士になって十日町病院の医局長をされていましたが、
残念ながらもう20年近く前に若くして他界されててしまった方です。
13回忌に併せ、お父さんの健二郎さんが息子さんの写真と、
写真と一緒に出てきたという丹念な記録を再編集し、ここからがまたすごいのですが、
C56現役当時に写真集などをお出しになっていた、小海線の高原のポニー号運行の立役者だったという、
その筋では超有名人な塚本和也さんと文通して教えを請いながら仕上げた写真集は圧巻です。

はじめに
カラーページ              2
飯山線の四季
  春                 15
  夏                 25
  秋                 29
  冬                 33
  ふるさとを駆けぬけたC56の仲間達  42
消えゆくSLを求めて
  羽越線・米坂線           45
  大糸線                 52
  只見線・磐越線           56
  七尾線・関西本線          67
  九州各線               76
SLに魅せられた青春の日々(遺稿)  85
編集後記
全108頁

木村さんの写真集が”動”だとすると、登坂さんの写真集は"静"の写真が充実している気がします。
中学生だったときに形式写真を撮るとか、すごいなぁ。
記録写真のために35mm一眼を買うとかまじですごい。
本文内にも「中毒」という言葉が散見されますが、まさに汽車中毒のなせる技。
高校進学前の春休みに、撮影旅行で九州に一人で行っちゃうなんて....
撮影年月日、牽引機なども詳細にメモされていたそうで、本文にもそれが記されています。
また記録にほとんど残っていない、信濃川発電所の軌道の事、
信濃川にかかっていた3線軌道の鉄橋を渡るC56の写真など、記録性が多い写真集という仕上がりです。

実は、私、故登坂先生とはとーいとーい、縁があったみたいです。
我が母が、先生が子供の時、勉強を教えたことがあるそうで....
また、祖父は、健二郎さんと同じ旧制十日町中学卒で、良雄さんが通った高校で、
数学を教えた記憶があるとの事です。

そして、この写真集の最後の編集後記に、十日町の眼を支えてらしたお父さんが、
「将来ひまが出来たら金工でスチームロコ(蒸気で走る)を作り本物の石炭を焚いてレールの上を走らせるのが夢で
その方面の専門書を数冊読んでおりました」
以上 原文より引用
   というくだりがあり、
登坂先生もミニSL・ライブスチームをやりたがってたんだ!
ってことを知りました。

おいらのところにやってきたC56は、普通だったら、
手に入るもんじゃなのに、よくタイミングがあったなぁ、と思っていたんですが、
この編集後記を読んで、母親からの話を聴いて
いろんなつながりがあって、こういう結果になったんだろうなと思った瞬間でした。

話は元に戻りまして、両書に自分が驚く事は、十日町以南のとくに森宮野原-飯山間の風光明美な地方の写真、
1967年2月17日放映 NHK 現代の映像 国鉄飯山線の撮影区間などではなく、
十日町近辺で撮影されたC56が今でもこうして記録として残っている、という事。
この他にもどこかに眠っている写真はたくさんある筈な訳で、
地元の人に飯山線とSLは愛されてたんだろうな、と思うわけです。

自分のルーチェの写真なんかはほぼ自分しか持ってないわけでしてえらい違いだ。
SLのエネルギー効率もよろしくないし、
通常の使い方をしたらロータリーエンジン搭載車も最新のレシプロには到底かなわないし、
共に現役を退いた存在であるわけですが、
(REに関しては技術開発を一応続行しているそうなので、もしかしたらもう一度カムバックするかも?)
軽量テンダ機のシゴロクのポニーという存在は、
サラブレッドというよりかわいい子馬、という感じですが、
如何にその存在が愛され、そして魅力的なのかがわかる一例だと思うわけです。

写真集を出されてはないですが、鞄のハギヤのだんなさんの写真もすごいのがいっぱいあるし。
自分の記憶が間違って無ければ、
当時は隆盛を極め京に次ぐ着物産地であり、羽振りが良かったという機屋さんが仕立てた特別列車が、
羽根川鉄橋を渡る写真を撮られていたはず。

だんなさんも写真集造らないかな?


今年は本当、眠っていた資料が久しぶりに日の目を見た!といえる年だったんじゃないかな?と思います。
飯山線にSLが復活したいい年に出会えた、いい記録・写真でした
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  1. 2012/12/17(月) 00:00:04 -
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