★となりの集落のおじいさんのAHCを治す★今から少し前、隣の集落に住んでいる、 昔、京王バスの運転手をしていたのおじいさんがやってきて 「発動機がダメなんだよぉ、診てくんねぇか?」と言われていたので行ってきました。 おじいさんのクボタAHCは以前、マグネトーのインパルスを治したことがあり、 おやおや?壊れちゃったかな??と思っていましたが、今度は、気化器がだめらしい。 ![]() 原始的な気化器の一方弁がおかしくなっていたようで、そこを治したら快調になりました。 うれしやうれしや。 ![]() 原始的な機械は楽でいいなぁ。 さわっているだけで癒されます。油の臭いも最高。 病気みたいなもんですが、やめられねぇ。 お礼にバーナーを頂いてしまいました。やったね。 ![]() そんでもって、こちらも披露。 東京西部、日野のとある集落で、ポコンポコン。 動画はイメージです。 平和だ。 ![]() タキセ製作所には、またまた修理のカマが来たので様子を窺いに行ってきました。 給水系統の管を更新するのをちょこっと手伝いました。 ![]() そんなこんなですが、おかゆを食べて座れるようになった子供の成長が一番の楽しみです。 今日は、ひな祭りにかこつけて、のむぞぉ~ 道楽野郎の日記でした。 スポンサーサイト
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★第66回十日町雪まつりへ[汽車焼芋をいたずらする十日町プロモーション大使No.007]★十日町雪まつりの時期がやってきました。 ![]() 十日町SL運行を応援する市民の会 会員の8490かつ、 十日町プロモーション大使No.007のオラも雪まつりに参加した様子を書く日記です。 先週は積雪3mに迫ろうか?というくらいの大雪だった十日町。 ![]() 今週はだいぶ雪、溶けてました。 しかも雪まつりの土曜は晴れ晴れ。 ![]() 先週はこんな感じだったコーナも、 ![]() ![]() はれるとこんな感じになっていました。 ![]() 土曜はまだ路面がつるんつるんの時間に会場に行って準備、開始!!! ![]() 雪と気持ちのいい晴れ間を眺めながら、 ![]() 汽車焼芋機に、火入れ。 ![]() C56 129も端っこに。 今回は、ご自由に跨って写真撮ってくださいマシンです。 ![]() 昨年から準備した汽車焼芋1号機にプラスして、急ごしらえの2号機は、リアカーに、 括り付けてもらって、スチーブンソンのロケット号よろしく、ロケットストーブモドキ焼芋機。 ![]() 晴天ですからすごい人の出です。 ![]() ![]() 大混雑です。 芋も飛ぶように売れる売れる。 仕入てあった芋、焼ける分は焼きつくしてしまいました。 今回は、第66回 十日町雪まつりにて、汽車焼芋、 2カー体制で焼きました。 視覚と匂いが結構人を引き付ける様で焼芋って売れるんだなぁ、と思いました。 関口市長さんもふらっと御出でになり、直にSL、汽車最高~とお伝えしつつ 一日中芋を焼いたり薪を割ったりしました。 バールで廃材をばらして小さな斧で一日薪割する、何かのちょぴっと楽しい苦行をした気分です。 ![]() 差し入れがうれしい。ありがたい。 濁酒最高!!!!!!!! でも松乃井や天神囃子も飲みたくなるのが酒飲みの悲しい所ですが、最高な所でもあります。 ![]() まねして作ってみたい、と仰るドラム缶風呂を河原で楽しむ方、 なんて方もいらしゃって、楽しかった。 ![]() 何年か前、飯山線にSLが戻ってきて、 ![]() 沢山のSLが雪像になった事、 ![]() がありました。 ![]() 次、いつになるかは、まったくわからないけど、 永い間、こういう事をしていくんだろうな、と思った十日町雪まつりでした、 |
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★そしてルーチェ★![]() いまから11年前に自分の所にやって来た、二代目マツダルーチェカスタムGR2 ロータリーエンジン搭載車。 ちょっともしかしたら今回の一件でクルマまで変調しちゃうんじゃないか?? と不安になったので、新潟から帰ってきて、 ![]() まだ雪の残る ![]() 塩カルで塩だらけになったRX-8を洗った後、 ![]() ルーチェの12A-5型高出力バージョンに火を入れてみました。 ![]() アパートに横付けして、子供をのせて市内をドライブ。 春になって桜が咲いたら、一緒に見に行きたい場所に行きました。 ![]() ![]() のせた子供は、今回もニコニコ。最近白湯を飲み始めた子はニコニコしています。 心地よい振動と、エンジン音がいいんでないかい~?? いつもの週末が戻ってきました。だいぶルーチェの事が好きになって来たんじゃないかと勝手に思っています。 子供が乗るリア側のショックが実はコニの可変式に変えてあるので、 ぼよんぼよんしない程度にも少しやわらかくしてやろうかな??なんて。 フル加速で笑う娘(写真は停車時のものですが)、将来が楽しみだ。 腕力を鍛えて重いルーチェのハンドル・ワッパを回せるようになると一番いいんですが、 それはまだうんと先の話しなので。今日はこの位で。 ![]() 汽車のロッドも油をくれて汚れを落として、次の出庫に備えて、 さーこれから、ますます本気でいろいろやるぞ~と思った一日でした。 |
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★さよならおじいちゃん[でも結局は子供みたいな大人の雪遊び]★![]() 急用ができて急遽、十日町に行ってきました。 書こうか書くまいか、結構考えたんですがあたし障りのない様に少しオブラートに包んで書きます。 ![]() 行きはアクセラでした。 ![]() 結構すごい雪でサングラスをかけていないとどこが道路で、どこからが除雪が不十分かわからない箇所も、 多々あり。 ![]() 何しに行ったかといいますと、 自分に機械の面白さ、ロータリーエンジンの楽しさ、酒を教えてくれ、 男たるものと教えてくれ、自分も大好きだった祖父が現世を終えました。 この日記にはもう直接的には登場する機会がほぼないと思うのですが、 この先を読んで頂いた方は、へぇ、そんなおじいさんも居たのねぇ、と思ってただけたら、幸いです。 RX-8の雪遊びは一番最後に書きます。 祖父は 戦前、旧制十日町中学卒業の後、浜松高専機械課を卒業、18歳で自動車免許を取得し中島飛行機に入社。 海軍に転出。宇佐海軍航空隊を技術中尉にて除隊。 海軍では、調子の良いトラックを自分の車のように乗り回し、停めておくときは、 ディストリビュータの駒を抜き取ってエンジンがかからないようにしてしまったとか、 備品のお酒を上官命令を発して拝借したり、と厳しい世情ではあったものの、好き放題やっていたようです。 顔見なりが自分にそっくりだったという祖父の兄がシベリアより帰還するも半年で亡くなり、あとを追う様に祖父の両親がなくなり、農地解放により、十日町とある地域の土地を大部分失うが、 地元に呼び戻され十日町で生きて行くことを決意。 元来持ち合わせた頭の良さを生かし、 滝文というかつて、十日町の三大機織り屋さんの中の一角である機織屋さんで 機織機のリバースエンジニアリング的な、 設計での新型機を造るに当たり、図面を引いて三条の鋳物工場まで滝文さんが持っていた自動車を使い、 ドライブするなどして仕事をしたそうです。 そののち、母校、現 十日町高校に数学課教師として就職。 数学を教えるだけにとどまらず十日町の主産業である着物を効果的に宣伝するのには、 甲子園のアルプススタンドに十日町の幟を飾れば効果的なんじゃないか? という大きな夢を実現しようと羽振りのよかった機織組合と結託しスポンサーになってもらい、 道具をしこたま買い込み、自身は監督になり出ると負け、炭団山だったチームを2年連続ベスト8になるまで強化して、 さらにチームを強化するために合宿所を造ろうとして、 そんな事は公立校なんだからやっちゃだめだと止めに入った校長を、 持ち前の短気さが爆発し手を出して.....とか、実力があったから許されるようなことも結構していた様です。 はたまた、郷土の発展のためには、まず、すぐれた人材を輩出する必用もあると、 事有る毎に発議し、みんなで協力して最終的には特進クラスを、 半世紀近く前の十日町高校で実施したそうです。 過去の十日町高校の新聞「南陵新聞」には、 '60年代に、「進学の指針」(PDF 5頁目) http://www.tookamachi-h.nein.ed.jp/gakkouseikatu/jukkoushinbun/67_jukkoushinbun.pdf などという、連載をしてみたり、高校野球の夢が一時終了した次は、 そういう事に熱心になっていたそうです。 一応国会議員を輩出するなど国公立大への進学に関して一定の成果もあったが、 これまた、組合の方針とは合わない事もあり、 「あいつをつぶせ!」とやられ、いろいろ大変だったそうです。 新潟随一の花街、古町で接待してとかそういう仕事にも手を染め、 十日町高校・実業高校・川西高校、近隣の高等学校ではどの学校でも教えたことがあるそうで、 昔だからそんなことが出来たんだろ、という内容も多いけど、いろいろすごいなぁと思わせる祖父でした。 高校野球の件は、戦力のピーク、第一次が祖父が監督だった頃だとすると、 二次は'80年代の県大会二位の頃、そして、2001年、第83回にて、甲子園に行ったのが大きな山、 だったのではないかと思います。 戦力的には’80年代、そして2001年、の方が圧倒的に強かったと思いますが、 最弱校がベスト8まで行く、というのもそこまでたどり着くには、そこそこの労力があったはず。 甲子園には、祖父も行って、負けたけれど、でれてよかった、素晴らし経験だったと思います。 退職まで異動の話を断り続け平の職員ではあったけれど、 一応、実力者だったので退職後には教育委員に推薦されて引き続き地域の教育に関わり、 図書行政に結構、興味があり、祖父は、自分の住む日野の図書館に視察しに来たこともありました。 教育委員を辞した後は菩提寺に鐘楼を建てようと寄付集めに奔走してました。 ![]() 大体やることなす事、強引で恨みを買う事もあったと思うのですが、 本当に行動力のある祖父でした。いつも何かをしていました。 そんな祖父には、夢を持って、あきらめなかったら、いつか、風が吹く日も来る、夢は叶う、 というのを背中で魅せられた気がします。 そんな祖父が大好きでした。 なぜだか知らないけれど、小さい時から。 祖父の興味あるものに同じように興味を持ちました。 一番影響されたのはマツダ。 中島飛行機関係者だっったわけで、普通だったら日産かスバルの車に乗る所、 だと思うのですが、なぜかマツダ。 '60年代に初代ルーチェに乗り始めたのを皮切りに、マツダ一筋。 そして自分が生まれたころに乗っていたクルマが、 ![]() HBルーチェと、 ![]() LA22S ルーチェロータリー。 アユ釣りとか、そういう時に使う用としてロータリーのルーチェをとっておいたらしいんですが、祖父も ロータリーのビューンとまわる動力性能には大満足していたようで、 そういう事を3歳児くらいの自分に自慢げに話てみたり、山道に行ってはブンブン、 今のマツダ流で言えばzoom-zoomしていたのでした。 その頃、父がシルビアとかコロナGT2ドアなど、そこそこスポーティな車に、 乗っていたことも、逆にロータリー車を好きにさせる要因だったのかもしれません。 だって、直線だけの刺激ならロータリーの方が多かったでしょうからねぇ。 そう、祖父の方が子供を乗せて思いっきり運転していたと思います。飛ばす飛ばす。 センターラインの黄線な場所でも遅い車は抜いていたのを強烈に覚えています。 だからロータリーはすごい!!!!と三つ子の魂 百まで状態になりました。 祖父にはほかの孫も居ましたが、そういう事に反応するのは自分だけで、 こっちは、面白い事をしてくれる祖父と認識し、 祖父もなかなか面白い子供だ、と思っていたんだと思います。 祖父は新しいもの好きでもありましたので、 ![]() ナショナルVHS アクションマックロード NV-150・マックロードムービーVZ-C70があって、 それで撮ったビデオに名前付きで保存されて居るのは、 孫の中では自分の名前の物しかない、 ![]() 岳人の記録、岳人の運動会、岳人いわな釣りなどなど。 お互い、相思相愛だったと思います。 小学生になる頃、祖父と自分はある一つの約束をしていました。 「お前が免許をとる頃にはロータリールーチェをお前にやる」と。 でも、塩カル撒き放題の新潟では、全塗装を2回おこなってもサビサビグサグサになり、 あえなく廃車に。 自分が20歳を過ぎ、ガソリンスタンドとミニSLの機関士をして貯めたお金で、 北海道でルーチェを買って、初めて十日町に行った時の祖父の喜びようは、 大きなものでした。 はじめてルーチェで行く十日町は、三国峠では雪。 ![]() 内緒で祖父の家に行って、わざと玄関から、 その特徴的な鼻先が見れるように止めて、驚かせたのはもう11年位前の事。 祖父の親しかった方から式の時に聞いた話によると、 ![]() 「俺が昔のってたロータリー車にがくが乗ってきた」 と嬉しそうに話をしていたそうです。事あるごとに自分の事をしゃべっていたそうで.... ワタクシも、所構わず仲のいい人には、祖父の話をしていたようで、 ミニSL関係や学校の友達にも、相当話していたみたい。 義理の父母に初めて会った時は、酔っぱらっ状態で祖父に電話までかけちゃったし。 一昨年のお盆にはカミさんを初めてお盆の夜のお墓参りの時に、 連れて行った宴席で、 お袋をはじめとする四兄弟とその連れ合い、みんながいる中で、 「がく、お前は俺の息子だ、最後の子だ」 なんて言ってくれていて。 10年前の中越地震の後、胃潰瘍になってから徐々に、 体調を崩していきましたが、趣味趣向が比較的にている自分が、 年齢的には大人になってからも、いろんなものに興味を持ち、 祖父自身ももう少し若ければやってみたい、なんていうモノ、興味ありそうなものに手を出しては、 ある程度うまくなるなど、特に結婚式で準備した映像などは手放しで褒めてました。 「素人じゃないな」と。 ぶつかることもあり、特にミニSLに関しては、 「乗るのもいじるのもいい、いい趣味だ。いい機関車が手に入ってよかったな。 ただその頻度はなんだ? お前は頑張りどころがずれてるぞ、気に食わん!」なんていわれたこともあり、 やっぱりなんだかんだで、会うのを楽しみにしていました。 おこられることに関してだと、これまたいっぱい怒られました。 自分はかわいい孫のはずだったんですが、祖父の家で、 覚えている話だと、祖父の家には池がたくさんあって、裏山から湧き出る、 清水が豊富で、小さい時は遊びに行くたびに、水車を造ってみたり、 船をつくっていったりしていましたが、祖父の家でいたずらをしていて、 それが祖父が気に食わないものだと、容赦なく怒られました。 おっかなかったなぁ。 でもそれでやりたいことをやりたいようにやる術を、さづけていただいたような気もします。 今日はだいぶいつもに増してポジティブ思考回路にてつらつら書かせていただいてます。 祖父自身、自分にいろいろ影響を与えたと思っていたようで、 なかなか結婚できない自分やその両親に対し、 「がくの人格形成に、親じゃない俺が大いに影響している。これでよかったのかな?」 なんて言っていたこともありました。 ![]() 歳は歳でしたが、去年までファミリアにのっていたし1月までは、十日町に住んでいました。 そんな祖父が、まだ危篤状態では全然ない状態で、おじさんに対して、 亡くなる前日、 「俺は明日、逝く。家族を呼べ!呼ばないと、お前は一生後悔するぞ」とずいぶんな剣幕で迫ったそうで、 そんなぁ~また冗談を思っていたら、翌朝朝ごはんを食べ終わったら、 ぽっくりと。 はぁ、そんなこともあるんですね。 という事の顛末、書かなくてもいいような気もしましたが、 書いてしまいました。 義理の親さんとか、多分また読んで頂くと思うんですがそういう具合でした。 もう、おめぇは女か?というぐらいグズグズ、北の宿から状態でしたが、 灰になっちゃうと、そんな気持ちはどこへやら。 そんなこんなで帰り道です。 ![]() 昨日夜22時の積雪は観測点で294cm雪のある十日町。 至る所で3mの雪がある感じで、雪が多いなぁと思いました。 マツダアクセラで行きましたが、帰りはおらだけ一足お先に。 雪が多くて後輪駆動車だと十日町近辺で行動するには大変な場面もある、という事で運よく、 車両をチェンジ出来ました。 やったねうひょひょ。不謹慎かもですが。 ![]() マツダRX-8で帰ってきました。久しぶりに乗る雪道でのロータリー、雪道とRX-8やっぱり最高でした。 最近は汽車汽車とそっちの比重が高い感じなのですが、 ![]() やっぱりクルマは素晴らしい道具であり最高の大人のおもちゃだと思いました 己と向き合う時間が出来て良かったです。 ![]() 左コーナをなんとなくコーナーの内側を向いて走っているような気がするのは錯覚で、 ![]() その次の右コーナー始まるまでに姿勢を整えて、 いる感じですが。もしかしたらその瞬間は間違いなくカメラがばぐったのかもしれません。 カミさんと子供がいるだから自重して大人しく走りました。行き帰りは楽しい、十日町行。 人生たった一度きり、子育てを第一にもっともっと思いっきりやるぞ、と思った週末でした。 |
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★ミスタールマンからの贈り物[ロータリー乗りで良かった]★世界有数のロータリー乗りであらせられるミスタールマン寺田さんから小包が届きました。 前年よりお野菜をお届けしているのですがひょんなことから、 服を頂いてしまったりして。 ロータリー乗りで良かった! ![]() 小包の中身は、清五郎農園さんが造る南欧原産「モロ」というブラッドオレンジ。 日本では瀬戸内で十年前に栽培を始めてようやくある程度安定して 収穫できるようになった貴重なオレンジだそうです。 会社から帰ってきてびっくりしつつ電話でお礼を伝えると、 「写真撮って、感想かきなよ!」と仰って頂きました。 日野は多摩川梨・高尾葡萄・ブルーベリーの栽培が盛んですが、 我が実家の現当主、わが父は、江戸の米蔵、多摩の穀倉と呼ばれた 日野で出来る限り稲作を続けたい、 という考えの持ち主ですから、果樹は家で食べる用の柿や蜜柑位しかやっていません。 加えて、ブラッドオレンジは実は数年前に植えてみて速攻で枯らしたらしく、 興味津津、さっそく食べなきゃ。 ![]() きって食べてみました。食べてみた感想です。 語彙が足りず申し訳ないのですが、 日本のミカンにはない味です。 香り上品、香水のようで口に広がるお味は甘いけど、 どこかビターな風味もあり大人のお味。 寺田さんはスパークリングで割ったそうですが、 食べて良し、ジュースにしてよし、カクテル等、お酒とあわせても良し、 様々な楽しみ方が出来るおいしい果実だと思いました。ご馳走様でした。 |
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★2月の走り込み★今日はOSLSC関東の運転会でした。 雨がいつふるか??微妙でしたが、午前6時、カミさんに家を送り出していただいて。 ![]() 湯気を浴びながら走行。 ![]() 昨日はイケアの家具を組み立てたので送り出してもらえたのかも?? 時間をかければ這って行きたい方向へたどり着く子供対策でコンセント隠しの術。 ![]() ![]() レイアウトに行く前に、炭水車の整備の続きを男の隠れ家でして、 ![]() 走って、走って走って。 ![]() まだ少し足りないんですが、 ![]() 炭水車の整備状況を確認したり、 ![]() もう少し手を加えておきたい可動部の確認をしたり。 ![]() 至福のひと時。 ![]() でした。 雨が降る前に片付けて、家に帰って、暫くしたら隠れ家へ。 ![]() C56のキャブは狭いので、焚口扉の棒を短い物に造り変えて、 邪魔にならないようにしたり、 ![]() どうにもキャブ内からの操作だと開きが悪いドレンをいい動きにするように、 連結している部品を外して曲げなおしてつけてみたり。 油まみれになりながら作業しました。 不思議なもので手を真っ黒にして作業する、 固いオイルの臭いをかいだり、塗料と油の交わった臭いを嗅いでいると、 不思議に落ち着くのです。ちょっと変なのか~? そんなミニSL・ライブスチームの面倒くさいけど楽しいプロセスを思う存分、楽しんだ日曜でした。
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★雪の小海線沿いにて★金曜は仕事で長野にて会議でした。 終わったら、パラダイス。 ![]() 佐久の旧中込学校 ![]() 野辺山のC56 ![]() 野辺山駅前の雪原を膝まで雪にはまっても雪が軽いのであまり濡れず、構わずズブズブと。 ![]() ![]() 清里のC56. ![]() C56 129についていたスノープローは、この展示物に近い気がするので、 ![]() 現役当時のC56 129 冬装備 ![]() ![]() 次に造るスノープローはこれも参考に造ろうと思います。 ちなみにサイドの高さ約40cm、センター30cm強。 グフフ ![]() より、ライブスチームについているスノープロー。実物っぽくするぞ~ ![]() 古くて黒くて大きな物体、すこし油の臭いが漂う汽車のそばに行くと、 落ちくくなぁ~癒されました |
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★雪が溶けて良い天気。[炭水車の中間検査と小改造]★![]() 雪が溶けて、風が強く、良く晴れた週末でした。 昨日も数時間、作業時間が確保できたので、工作しました。 炭水車に着けているスピードメータのケーブルが断線しているらしい、 という事が解ったので、断線箇所を調べる為にケーブルを切断しつつ確かめていきましたが、 最終的に判明した断線箇所は、メータの台座直近......でした。 あぁ、無駄にケーブルを刻んでしまった。 ![]() 新しいケーブルをつけました。 ![]() もともと同軸ケーブルだったので平行線にするとノイズが心配ですが、だめだったら同軸ケーブルにしようと思います。 数年前のサイクルコンピュータ、センサは昔のリードスイッチじゃなくて、 抵抗値を見ている限りどうやらホール素子が入ってるみたい。 ハイテクだなぁ。接点障害も起きないだろうなぁ。 ![]() センサホルダを固定して、 ![]() ![]() ブレーキも調整して。 ![]() 再塗装。 今年一年の安全運行を支えるべく、炭水車の整備をした日曜日でした。
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