FC2ブログ


がくのロータリー人生

二代目マツダルーチェと三代目プレマシーやC56に乗るがく




十日町高校 甲子園出場




記録の為に書きます

私は、オーバーハンドでボールが投げられないヘナチョコです。
サイド&アンダーならば、そこそこちゃんとした球が投げられるんですけど...
そんな私の祖父は、元、高校教師で元野球部の監督であります。
私に遺伝したのは、酒飲みなところとマツダ好きだとおもいます。

十日町高校、大正15年創立、旧制中学校としてスタート。昭和23年野球部創設。
でも、弱かったそうです。年の1/3近くは積雪があった地域、出ると負けだったそうです。
そこで、数学教師の祖父が「見てられん」ということで、監督になるのでした。
当時、20台半ば、血気盛んな青年だったそうです。
しかし、祖父も野球が出来た訳ではありません。選手と一緒に上達していったそうです。
がたいの良い生徒を見つけては、野球部に引きずり込み、足りない用品は地元の産業界に支援を仰いだそうです。
そして、生徒と祖父は、二年連続で県大会ベスト8にまでいけるようになります。
が祖父の監督人生は、ここでおしまい。以後は他の形で、部を支援したそうです。
祖父はその後は生徒指導一本の道を進みました。戦後、就職してから退職するまで、母校で教員生活を送りました。
そして、月日は流れ、’80年代半ば、再び野球部は強くなり、北信越大会準優勝や県大会2位などの成績を残します。
この頃は、既に祖父は、退職まじかだったとおもいます。生徒から、どう思われてたんでしょうか?読んで、祖父が誰かがわかる方、教えてください。
私は、そのころ松本であった、試合などから記憶があります。
県大会2位になった頃は、十日町から、柏崎までクルマが渋滞したなどという逸話があるそうです。
十日町高校は、新潟県の高校野球では、ほぼシードの仲間ですが、なかなか、甲子園への道は遠かった訳です。
祖父は毎年のように、甲子園に行きたいと言っていて、今でも言いますけど、いつ行けるかは時の運だったのです。
近年では、新潟明訓、日本文理、中越など私立校が、甲子園に出場するという大会がほとんどでしたが、'95年、となりの六日町高校が、甲子園へ初出場を果します。
次こそ、十日町!と選手、後援会関係者は思っていたに違いありません。
そして、ついに2001年、十日町高校は、するすると勝ち上がり、決勝戦で、日本文理に1対2のサヨナラ勝ちを決めついに、甲子園初出場を果す事になりました。この日本文理戦でも、文理のピッチャーが実は、十日町高校学区内の生徒で、十日町ナインとは同級生だったとかという話もあったようです。
自分は、当時、東海地方に下宿してたんですけど、電話で逐一確認してました。出場が決まってからは、車のフロントガラスに"十日町高校 祝甲子園初出場"って書いて走ってました。

ここまでもミラクルでした。奇跡ですよ。そしてここからがまたすごかったのです。
寄付が集まりだし、結果としては、数億円(2億だったでしょうか?)が集まりました。
応援バスが越後交通などから80数台、電車が2編成、そのほか、タクシーやマイクロバスなどが繰り出され、4千人を越す応援団が甲子園のアルプススタンドに集まったのです。

当時家の車だったスカイラインで、私も行きました。
朝4時、出発、八王子インターから中央高速を西に向かって走ったのです。
しかし、8月10日、帰省が始まる時期で名神高速は渋滞でした。この渋滞の中で、十日町のワゴン・タクシーを発見しました。もう大興奮です。
尼崎にクルマを停めて、阪神電車で甲子園入り。午後2時くらいでした。甲子園でお盆より一足先に親戚が集まりました。
当日の試合は、雨や熱戦で押されていまして、甲子園近くのスーパーで待機していました。
入場待ちの応援団は、一塁側通路に集結し始め、大変な騒ぎになっていました。熱気むんむんです。
試合開始は、約午後6時。
アルプススタンドは、超満員で、一球投げるごとに、歓声がわきあがり、相手高の明徳義塾とは対照的でした。
試合は2回までに7点を取られ、6回に3点とられて、10-0で負けました。
明徳は、13安打で10点を取ったにもかかわらず、十日町は7安打も完封されてしまいました。
やはり、初出場高が勝てる相手ではなかったのです。
ファールボールが、ブラバンの女の子の目にあたり、悲惨な事故がおきたりと後味がいまいちでした。
が、それを知らなかった応援団は、ストライクが入るだけで、優勝したかのような騒ぎっぷりになり、試合終了後も、長時間、アルプススタンドに留まり、校歌絶唱を繰り返していました。
私達が試合終了後に祖父と再会した時は、もう言葉がありませんでした。
ちょうど、私の母の年代の十日町高校生は祖父が野球に打ち込んでいた事を知る人は普通では、ほとんどいなかったようで、その情熱は、今では家族と当時を知る者だけが知りえるものだったのですが、念願かなって甲子園を見つめる姿は、涙なしではありえないものでした。

甲子園の芝は、本当に美しいです。

甲子園を出ると、十日町からバスできた応援団は、球場を一周するようにして帰っていました。
私は、思わず、十日町高校!万歳!と数度叫ぶと、応援団も万歳を連呼してくれて、うれしかった事を記憶しております。
帰りは、午後、9時過ぎ、10時近くに尼崎を出発。高速で飯を食べ、駒ヶ根SAでは、十日町の嵯峨野というそば・うどん屋さんのマイクロバスを発見したりと、十日町な一日でした。
帰宅は4時。24時間ドライブでした。

また、いつか行きたいものです。
スポンサーサイト
  1. 2004/10/25(月) 23:58:08 -
  2. 十日町 -
  3. トラックバック:0 -
  4. コメント:0 -
  5. ↑TOPへ



MAZDA Rotary Engine Anti Pollution System マツダ ロータリー エンジン アンチ ポリューション システム [ リープス ]




今現在、日本の排出ガス規制は、厳しくなってきている。
しかし、日本の自動車メーカーは、それをクリアし続けている。
今では、モーターで駆動され、走るクルマまで出現してきた。
排出ガス規制は、かつてより、より重要であり厳しいものになってきたといえるだろう。
今から、約30年前、初めて自動車が直面した、排出ガス規制という難関に果敢に、挑戦したメーカー
があった。東洋工業(現 マツダ)と本田技研工業である。
トヨタ、日産が、実現不可能であると表明した、規制に対し、東洋工業と本田技研はいち早く、回答を
見つけ出し、いち早く低公害車を売り出した。
今現在では、その規制は緩いものといえるし、既に過去の技術のものといえる。
マツダが当時、用いたREAPSは、今では、本の中でしか知る事が出来なくなりつつある。
旧車乗りの方々は、ここに掲載する事は知っている方々ばかりと思う。
そして、一般人は知りたいと思う事が限りなく0に近い内容ではあると思う。
が、最もマツダのロータリーエンジンが改良されまくった時期でありロータリーエンジンに、興味を
持った中高生が、いったい何人いるかはわからないが、そのような方々、および、RX-8の発売により、
ロータリーエンジンに興味を持った方々も、かつての話を知ってしまったら、さらに、現在のロータリー
がいとおしくなるなるかもしれない内容を、ここでは載せてみたいのです。

排出ガスについて

排出ガスの規制の歴史

リープスの構成

点火コントロール

サーマル・リアクタの効果

サーマル・リアクタの弱点

燃費改善

REAPS-4・その改良点

REAPS-5・その改良点

点火コントロール・パターン

その後


排出ガスについて

 自動車から出る排出ガスは、3種類に区分できます。

   ・排気管から排出される排ガス
   ・クランクケース、インターミディエイトハウジングから排出されるブローバイガス
   ・燃料タンク、キャブレタ、燃料噴射装置から排出される燃料の蒸発ガス      以上の3種です。

 排ガスには、CO(一酸化炭素)、HC(炭化水素)、NOx(窒素酸化物)、CO2(二酸化炭素)が含まれ、ブローバイガス、及び、蒸発ガスにはHCが含まれます。
 COは、CO2になれなかったもので、CO2は、人体には無害な炭酸ガスといえますが、COは、自殺などに有効なものです。
 HCは、CmHnで表される炭化水素の総称で、ガソリンがエンジン内で燃焼できない時に、ガソリンが分解され、メタンに変化したものであります。前述の通り、自動車各部から発生する物質で、HC自体は、それほど有害とはいえないものです。ガソリンの大部分は燃焼して水分となり、水蒸気として、排気管から排出されます。
 NOxは、NO、NO2など、窒素酸化物の総称で、空気の主成分である、窒素が高温の燃焼熱により、酸素と結合して排出されます。

haikitokusei.jpg
レシプロ・エンジンとロータリ・エンジンの排出ガス特性の違い


ロータリ・エンジンの排出ガスは、レシプロエンジンと比較すると、COは同等、HCは約3倍、NOxは非常に少ないといえます。HCが多く排出される理由は、ロータリ・エンジンでは、作動室と呼ばれる箇所に、常にシール潤滑用のオイルを供給している事と、作動室が扁平で、ロータ回転方向に対して、遅れ側がうまく引火せずににHCが発生する、また、表面積/容積比が大きい事により作動室壁面に燃料が付着し燃え残る事、という理由があるからです。NOxの発生が非常に少ないのは、作動室が扁平で、表面積/容積比が大きい事により燃焼温度が低いからです。
なお、2003年から量産の始まった、13B-MSP[RENESIS]は、排気ポートを、ロータ・ハウジングから、サイド・ハウジングへと、移した事により、オイルや、燃え残り燃料の掻きだし現象を少なくする事に成功し、HCの大幅低減を実現しています。


排出ガスの規制の歴史

 排出ガスの規制は、光化学スモッグの発生が酷かったアメリカのカルフォルニア州が1962年に実施したのが世界で最初の排出ガス規制です。その後、規制は、アメリカ合衆国連邦政府も実施し、日本、そしてヨーロッパ諸国が実施するようになりました。
 日本では、1966年9月(昭和39年)に、4モードCO3%規制を実施したのが最初です。その後、1969年9月(昭和44年規制)に、4モードCO2.5%規制に強化されました。その後も、規制は強化され続け、1971年4月に、10モードCO、HC、NOx重量規制、1973年4月(昭和50年規制)、10モード、11モードCO、HC、NOx重量規制が発表および近い時期の実施が表明されました。1975年(昭和50年4月)より実施された昭和50年規制は、"日本版マスキー法"と呼ばれています。
 マスキー法とは、アメリカ民主党のマスキー上院議員が1971年1月に大気汚染防止法を提出したので、その法案をマスキー法と呼ぶのです。
 当時、マスキー法は、当時の規制に対し、大雑把に表現して、1/10、低減しなさいというもので、さらに、期限もありまして、CO、HCは1975年(昭和52年)1月1日、NOxは1976年1月1日までとする、ものであったのです。そのマスキー法と同等であったのが、50年規制であり、より、NOxの排出レベルを低減させたのが、51年規制、53年規制であります。
 中型車やバス・トラック、軽貨物車の規制は、当時は緩やかではありましたが、現在では、53年規制、又は平成12年度規制なみに強化されています。
 リープスと呼ばれれた、排出ガス浄化装置は、排ガス規制初期に用いられ、その開発、改良は、ロータリーエンジン史上で、かなり厳しい、試行錯誤が繰り返された時期であったといえます。


排気ガス浄化装置 

 排ガス規制当初のロータリ・エンジンの排気ガス浄化装置は、COと、排出量の多いHC、をエンジン外で酸化処理、すなわち、再燃焼させることにより、浄化するという装置が使用されていました。酸化処理を行うには、酸化触媒か、サーマル・リアクタを用いる必要がありましたが、ロータリ・エンジンの排気ガスの温度が高いという事と、有鉛ガソリンの存在により、サーマル・リアクタ方式をロータリ・エンジンは採用しました。それが、REAPSです。



systm.jpg

ロータリ・エンジンの排気ガス浄化装置 リープスの概要
REAPS-4 構成図


 REAPSは、CO、HCの再燃焼を助ける、2次エア供給装置と、サーマル・リアクタ及び、点火系の切替装置、制御用の小型コンピュータから、構成されていました。
 エンジン・作動室内で、緩慢な燃焼をしていた作動ガスは、NOx濃度は低く、高い温度を保ったまま、エキゾースト・ポートから排出されます。ここで、エンジンが中速域までであれば、二次空気が噴射され、そして、サーマル・リアクタ内に導かれ、ここで、滞留しながら、再燃焼されます。そうして、排気管に入り、排気管出口から出てくる排出ガスは、きれいになっていた...そういう仕組みです。
 排ガス規制当初は、燃費の事は考えなくても良く、排気管から大気に放出される、排出ガスをキレイにすれば良かったのですが、'73年のオイルショックにより、燃費改善を迫られ、改良に次ぐ改良がロータリ・エンジンに行われたのです。


点火コントロール

 2005年現在、ロータリ・エンジンを、自動車用として、量産しているのは、マツダのみです。
 いろいろな、ところで語り尽くされた感がありますが、もしも、日産、GMが、計画通りに量産・市販をしたり、トヨタが、マツダからエンジン供給を受けると同時に、自社でも開発していたら、今、あるロータリ・エンジンはスポーツカー専用などというふうには、なっていなかったかもしれません。
 今まで、マツダ、一社のみがロータリ・エンジンを育てたといわれているのは、まさしくその通りでしょう。本格研究開始から6年で、市販、開発と同時に、アメリカ上陸のために、排ガス浄化の研究、アメリカに上陸して、NOxが少ない事を武器に、クリーン・エンジンとして、さあ、これから!!というところで、オイル・ショックに襲われ、今度は、燃費改善を迫られる...研究開発員の方々は、休む暇も無い状態だったと思われます。
 さて、この頃の、ロータリ・エンジンに詳しい方は、点火コントロールに関する、記載が無いじゃないかと思われるかもしれません。ので書きます。


TL2.jpg
HC、NOx排出濃度と、点火時期、点火プラグの関係

 このグラフからは、HC、NOxは、点火時期を遅れに遅らせると、HC、NOxの排出濃度が下がる。
 さらに、リーディング側、トレーディング側のどちらか一本のみで、点火すると、さらに排出濃度が下がります。と読めます。
 実際、REAPSは、この方式とサーマル・リアクタ使って、排ガスをキレイにしていたのです。
 では、なぜ、排出濃度が下がるのでしょうか?
 それは、点火時期を遅らせ、燃焼を緩慢にする事により、NOxの発生が抑えられ、"後燃え"現象がおき、排ガス温度を高く保てて、排気管内で、HCが燃えて、HC濃度が下がる、という事が起きるからです。

サーマル・リアクタの効果

 サーマル・リアクタ装着車のモード走行時と、非装着車のモード走行時のCO、HC、NOx排出量の比較をしたのが、下図になります。


onoff.jpg

C0、hc、NOx排出濃度と空燃比の関係

 グラフの通り、サーマルリアクタ装着車は、CO、HC共に、サーマル・リアクタ内で、再燃焼された結果、排出量が低減されます。
 NOxも、CO、HCを再燃焼させる温度を、NOxが生成される温度以下にコントロールする結果、増加はしていない事がわかると思われます。


サーマル・リアクタの弱点

 サーマル・リアクタは、当時の触媒に比べ、構造が簡単で、耐久性の面でも、製造コストの面でも、有利であったといえます。しかし、サーマル・リアクタにも、当然、弱点がありました。
 ひとつは、NOxは、浄化できないということ、もうひとつはエンジンから排出される、排気ガス自体は、十分、汚くなければならないということです。
 ロータリ・エンジンは、燃焼温度自体は、レシプロ・エンジンよりも低く、NOxの排出は少なく、さらに、浄化装置を、エンジンの近くに設置できる為、排気ガス温度を下げることなく、処理装置へ導入できるなど、サーマル・リアクタ向きエンジンではありましたが、サーマル・リアクタ内で、排出ガス中の有害成分であるHC、COを再燃焼させるために通常よりも、だいぶ濃い混合気を与える必要があったのです。したがって、もともと、燃費があまりよろしくないといわれていた、ロータリ・エンジンの燃費は、さらに悪化しました。しかし、ガソリンの値段が、安かった'70年代初頭は、燃費の事よりも、排ガスがキレイだということが評価され、燃費の事は、とやかく言われませんでした。
 サーマル・リアクタを備えた、ファミリア・ロータリ・クーペ、輸出名R100は、'70年より、アメリカへ輸出され始めました。アメリカは、ロータリー・エンジンの成長に欠かせない、巨大市場でした。国内でも人気、アメリカでも人気だった、ロータリ・エンジン車は、'70年に66,169台、'71、118,429台、'72、154,893台、'73には、239,871台、製造されるに至りました。
 しかし、'73年、世界を、オイルショックが襲います。
 そして、燃費の悪い、ロータリ・エンジン車は、売れなくなってしまうのでした。


燃費改善

 燃費が、悪いということで、売れなくなってしまった、ロータリ・エンジン車。
 日本と、アメリカでは、受け止められ方が、若干違ったようです。
 アメリカでは、'70年より、排ガス浄化装置を備え、というより、既にその時点から、排ガス浄化装置を備えていないと、販売できなかった訳ですが、アメリカンV8と同じような加速が出来る数少ない日本車として、ユーザーからは人気がありましたが、ビック3にとっては、ロータリーは目の上のタンコブだったのです。
 そして、オイルショック後に発表された、EPA(アメリカ連邦環境保護庁)の燃費レポートは、同クラスの日本車に比べ、燃費は、5割程だとし、当時、アメリカで発売されていた、RX-2(カペラ)及びRX-3(サバンナ)は、アメリカンV8と同程度、又は、それよりも悪いとされてしまったのです。そんな発表されたら、誰も買うわけはありません。アメリカで、ロータリ・エンジン車は不良在庫と化したのでした。
 対しまして日本では、'72年10月にルーチェAPが、低公害車第1号車として発売されました。これが、REAPS-1搭載車になります。
 エンジン自体は本田技研も開発済みでしたが、クルマとしての発売は、マツダが一番乗りになったわけです。続いて、'73年6月から発売された、ルーチェAP・REAPS-2搭載車は、昭和50年規制をクリアし、低公害車優遇税制適合車第1号に認定されました。第2号車は、サバンナAPでした。そして、オイルショックがやってきたのです。確かに、販売台数は減り始め販売台数は惨めなものになりましたたが、その頃の日本車には、ミドル~アッパークラスに、低公害車がまだ無く、あったとしても、とても2リットル・エンジンを搭載しているとは思えないクルマばかりで、低公害車といえども、値引きがあり、有負荷運転時の天井知らずな吹けあがりはそのままの、ロータリ・エンジン車のマーケットは、ほんの少しは存在し得たのです。中には、自ら、低公害車であり、優れた動力性能を有した、ロータリ・エンジン車を進んで購入する人まで存在したのです。しかし、そういった方々は、ほんの一握り、マツダ本社の社員は、全国の販売店へ出向し、新車販売を自ら行いました。
 燃費への風当たりは強いものがあり、'74年1月に、当時の社長、松田耕平氏は、ロータリ・エンジン車の40%燃費改善を'75年末までには実現すると宣言したのです。
 40%といえば、相当なものです。さて、どのように燃費改善を果したのでしょうか。


REAPS-4・その改良点

 燃費改善、それが40%といえば、相当なものです。
 どうやって、大幅改善を果たしたのかといえば、それまでの研究を、さらに地道に進めたというものだったのです。それは、サーマル・リアクタの反応性を改善し、混合気を、薄くしても、CO、HCを再燃焼できるようにする。というものでした。
 オイルショック直後の'73年12月、13B搭載車、及び、12Aのマニュアル車を追加した時に、REAPSは、"3"に進化していましたが、これには燃費対策は行われていません。
 燃費対策が盛り込まれた、REAPS-4は、'74年11月に、ルーチェ、カペラ、サバンナに搭載され、発売されました。ルーチェ・13B車は、15%、ルーチェ12A車は、5速が24%、4速が20%、カペラは、5速車が28%、4速車が、25%、サバンナは5速車が27%、4速車が24%の燃費改善を果しました。改良の概要は...

       エンジン本体
   サーモ・モジュレート・ファンの採用
      (風切り音の低減→品質向上、エンジン冷却水温度の最適化による、エンジン熱損失の低減)
   アペックス・シール組付時にアシスト・ピースを採用(シール性向上)
   外張り式のコーナ・シールを採用(作動ガスの吹き抜けの低減)
   エキゾースト・ポート・インサートの変更(排気ガスの温度低下の防止)

       浄化装置
   手動変速機車に、交番点火機構の採用(減速時の失火防止→品質向上、HC排出量の低減)
   二次空気のエア・インジェクション・ノズルの形状変更(二次空気の混合促進)
   二次空気のエア・コントロール・バルブの制御変更(リアクター冷却の最適化)
   コースティング・バルブの追加(減速時の燃焼改善)
   エアポンプ変更(CO、HC浄化性向上)
   サーマル・リアクタの断熱性向上(保温性向上)
   
                                    だった、そうです。
 この、REAPS-4は、燃費改善と同時に、ルーチェの13B車、カペラのRX、SX、GS、サバンナのAT車以外は51年規制適合車へとなりました。しかし、まだまだ、改良は続けられたのです。
 まず、その、第一弾が、13Bエンジン搭載車に追加された、REAPS-4E(後述)で、熱交換機を採用し、更なる希薄燃焼を促進させるに至りました。そして、公約通り、40%の燃費改善を果したREAPS-5を発売します。


REAPS-5・その改良点

 REAPS-4により、20%の燃費改善を果しました。でも、後、一年で、20%改善しなければいけない状態でした。REAPS-5は、REAPS-3に比べ、40%以上の燃費改善を果す事になりますが、基本を変えることはありませんでした。しかし、燃費は向上しました。REAPS-5の全車に、2次空気加熱用の熱交換器が追加された事により、更なる、混合気の希薄化を実現できたのです。
 燃費改善の寄与率と内訳は下記のようになります。

   エンジン内部の改善により        27%
   最終減速比の変更により          8%
   サーマル・リアクタの反応性の改善により 65%               でした。

   エンジン内部の改善
ガス・シール性能改善(REAPS-4で実施済み+アペックス・シール頂部のクラウニング加工採用、隙間減少)
プライマリ・ポートの形状変更(混合気を進み側に導入し、軽負荷時の燃焼効率を改善、低速トルク向上)
12Aの燃焼室形状の変更(リーディング・リセスの採用で、燃焼室中心を進み側に移し燃焼効率を改善)
リーディング側点火プラグ位置の変更(燃焼室中心を進み側に移し燃焼効率を改善)

   サーマル・リアクタの反応性の改善
サーマル・リアクタの断熱性向上(REAPS-4で実施済み)
サーマル・リアクタの容量増加(保温性と、浄化性能を向上)
排気ポート・インサートの断熱性向上(REAPS-4で実施済み)
排気ポート・インサートの径拡大(反応促進)
熱交換器装着による2次空気の加熱(反応促進、REAPS-4Eで13Bには採用済み)

   最終減速機の変更
ガス・シール性能の改善、吸気ポートタイミングの変更による低速トルクの向上、により最終減速比を
下げました。

 また、13Bには、燃費は悪化しますが、パワー・バルブが追加され、高負荷時に燃料を増量するにより、NOxの発生を抑え、急加速時に、EGRを作動させ、排気ガスの一部をインテーク・マニホールド内に再循環させて、NOxの発生を抑える装置が追加されました。

 以上のことにより、実用燃費は、ともかく、公式試験での燃費は、大幅改善を果したのです。
 '75年10月、コスモAPの発表、ルーチェのマイナーチェンジ、カペラの一部変更、サバンナのマイナーチェンジと同時に、REAPS-5が市場に導入されました。
 しかしながら、レシプロエンジンは、排ガス規制に適合してくると同時に、その衰えた、動力性能を向上させてきたのです。ロータリ・エンジンは、更なる改良を受ける事になります。


点火パターン

 さて、REAPSのことが、解かって来ていただけたと思います。
 前述した、点火コントロール、この制御は、REAPS-"1"、"2"、"3"、"4"、"5"ですべて違うのです。

 REAPS-1は、とても簡単でした。定常・加速時は1400~3400rpmの間だけ、リーディング点火にするだけでした。

 REAPS-2は、少し複雑になって、1150~3900rpmの間で、リーディング側点火、ただし、定常時は2950rpmから正規点火としていたようです。

 REAPS-3で、また複雑になって、今度は、チョーク操作まで関係してきます。これは、排ガス規制に、コールドモードという、試験法が追加され、エンジンを急速暖気する必要が出てきたからです。
 チョーク操作に関らず、1250rpmまでは、正規点火になりますが、チョーク全引きでは、1250rpm以上で、トレーディング側は失火、リーディング側のみ点火とし、さらに遅角点火とします。
 チョーク半引きでは、1250rpm以上でリーディング側のみ正規点火とし、4000以上で、トレーディング側、リーディング側正規点火に戻ります。
 チョーク全戻しでは、1250~2600rpmのみ、リーディング側のみ正規点火になります。

 REAPS-4では、チョーク操作に関らず、1150rpmまでは、正規点火ですが、チョーク全引きでは、1150rpm以上で、リーディング側のみ遅角点火、半引きでは、4000rpmまで、リーディング側のみ正規点火、全戻しななると、2300rpm以上は、トレーディング、リーディング側正規点火に戻る。さらに減速時、マニュアル・ミッション車に限り、リーディング側が、一回ごとに、点火、失火を繰り返す、交番点火システムが追加されました。
 一般的な方にも、旧車の乗りの方にも、まったく関係ない、このページ。
 こういうことをやっていたということだけ、わかっていただければ、もう、それで、十分です。
 でも、本当はさらに、これにエアポンプからの2次空気導入とか、減速時、燃料増量補正とか、空気供給とか、いろいろ、まだまだ複雑になっていたんです。 各車種ごとに制御が事細かになっていたと言う面もあるようです。ここに記されている事は、公害対策の知識に基づいております。


その後

 さて、REAPSは、その後、どうなったのでしょうか?
 ロータリ・エンジン搭載の新型車は、'75年以降、2年間、ありませんでした。
 ルーチェ・レガート、サバンナRX-7の発売は決定事項でしたが、新型車を投入できる状況ではなかったのです。カペラは、'76年7月に1800APを追加した後、'78年10月にフルモデルチェンジされるまで、8年間のモデル・ライフを送ったくらい状況は深刻でした。人気車種だったコスモAPも、'77年7月にLシリーズが投入された後、'79年9月まで、マイナーチェンジはお預けだったのです。マツダは、モデルチェンジサイクルが相当狂ってしまいました。まるで、数年前のマツダを見るかのようです。二度あることは三度あるにならなかれば良いのですが...
 でも、マツダは、復活しなければなりません。'77年1月、ファミリアがフルモデルチェンジを果します。幸せの黄色いハンカチに出た車です。このクルマが売れてくれました。’96年のデミオのような存在だと思います。そして、'77年10月、ルーチェの上級追加車種として、ルーチェ・レガートが発売されます。そして、ついに、'78年3月に、サバンナRX-7が発売されます。
 ルーチェとサバンナ・RX-7はREAPS-5だったようです。が、サバンナ・RX-7より、ロータリ・エンジン車も昭和53年規制適合車になります。
 この当時、マツダは既に、浄化装置をサーマル・リアクタから触媒に転換ずべく開発を行っていました。そして、減速時に、リア側ロータへの新気供給を絶ち、リアを休止状態にしフロント側のみ燃焼させるようにし、燃焼を安定させ、未燃ガスの排出を抑えた減速時シャッターバルブ制御装置、運転状態によって、触媒の浄化作用を還元、酸化両方に切り替える、2ベット型触媒、を備えた、希少燃焼型ロータリ・エンジンを'79年秋より発売し、このときより、国内、対米用は触媒方式に排出ガス浄化装置は切り替わりました。
 そして、その後のロータリ・エンジンは、ハイパワー化の道を歩みました。
  1. 2004/10/02(土) 08:26:27 -
  2. 旧HP ROTARYEAGLE -
  3. トラックバック:0 -
  4. コメント:0 -
  5. ↑TOPへ



ABOUT ROTARY ロータリーエンジンについて




大学の卒論の序章の文章を、そのまま転載します。
ただ、マツダ広報以外からの出版物画像は、転載しません。
いろいろな、サイトが、RE関係の文章を特集してます。
ロータリーイーグルは最後発組になるんであくまで、添え物として...ひそかに載せときます。
実は、私、高校の卒論でも同じ事を題目にしたんですけど、そっちは相当酷かったのです。
でも、大学の時のこちらは、だいぶまともになりました。

ロータリエンジンの創成期

NSUとロータリエンジンファミリ

東洋工業=マツダとロータリエンジン

1970年代以降のロータリエンジン

現在のロータリエンジン

ロータリエンジンとモータスポーツ

参考文献

ロータリエンジンの創成期



ロータリエンジンは、内燃機関の一種である。
 その発案は古く、16世紀のイタリアの技術者、Ramelliの回転ピストン構造揚水ポンプ[図1]が発端であるとされている。
 ピストンとクランクにより直線往復運動を回転運動に変換し、出力を取出す、レシプロエンジンよりも、回転ピストンによる回転運動を、そのまま出力するロータリエンジンのほうが有利であると考えられていた。
 そのため、1636年にはフランスPappenheimが歯車式ポンプ[図2]を、1769年にはJeams Watがロータリ蒸気機関[図3]を、1859年にはイギリスのJonesがルーツ式コンプレッサの基礎となる機構[図4]を発明している。
 ところが、内燃機関の回転ピストン機構の実現は20世紀になってからとなってしまった。レシプロエンジンと比較すると、ロータリエンジンは、

(1) 高圧力の働く作動質気密確保の困難性

(2) 熱力学的ガス作動サイクルに合った吸排気の確立が不十分

(3) 潤滑、冷却が困難

の弱点があげられ、これがそのまま回転ピストン機構の実現を困難な物にしてしまっていた。
 1954年、第二次世界大戦前より、回転機械の開発に従事していた西ドイツのF.Wankelが、ついに内燃機関としての実用化の可能性を秘めた機構を考案する。そして、それは西ドイツのNSU社との技術提携をもとに現在のロータリエンジンのアイディアを提示したものに発展し、以後、両者の共同開発がはじまった。発案された機構には2種類あった。

(1) 自転ピストン構造

Drehkolbenmaschine(DKM) [図5]

(2) 公転ピストン構造

Kreiskolbenmaschine(KKM)[図6]

両方共、2節3葉型のエピトロコイドとハイポトロコイドで構成されている。
 このうち、現在、ロータリエンジンと呼ばれているエンジンは、公転ピストン構造(KKM)を用いている。
 公転ピストン機構は、吸排気、潤滑、冷却がより確実に行える点が、自転ピストン機構よりも、優れている。給排気は、ロータの作動により、ポートを開閉し、摺動面には、オイルを供給でき、冷却は、ハウジング、ロータ共に、液体または気体による冷却が可能である。
 NSU-Wankel社はロータリエンジンを製品化しようとする、世界中の企業と相互技術提携を結んだ。ただし、ロータ頂点に配されている、アペックスシールとエピトロコイドととの摺動面にできる、波状摩耗(チャターマーク)[図7]の発生、サイド面から作動室内へのオイル流入によるオイル消費の過大性は収められなかったため、実用化はなかなか進まなかった。
 日本からは、1960年にヤンマーディーゼルと東洋工業(現在のマツダ)がまず、NSU-Wankel社と技術提携交渉を始めた。

図1~7は、すべて、編者 山本健一氏のロータリーエンジンからのものですので、掲載は控えます 



NSUとロータリエンジンファミリ へ

NSUとロータリエンジンファミリ



NSU-Wankel社での開発は、行き詰まっていた。そのために相互技術提携を世界中の各社と結んだ。その問題の解決に最も貢献したのが、日本の東洋工業であった。
 ロータリエンジンを、小型のバイク用や汎用として用いる場合、ロータの冷却は、吸入空気によって行うが、この場合のロータサイドの潤滑は、レシプロ2ストロークエンジンと同じように、新気にガソリンとオイルを混ぜれば、いいのだが、自動車以上に使用されることを考え、ロータ内冷却をオイルで行う、レシプロ4ストロークエンジンすなわち、ピストン冷却は新気と潤滑オイルで行うのと、同じ事であるが、その場合は、ロータ内へのオイル供給、排出、ロータサイド摺動面の潤滑保持と、油密の確保が大きな問題であった。油密の確保ができないと、作動室にオイルが流入し、オイル消費の過大、白煙発生、アペックス、サイドシールのカーボンスティック発生、その影響による圧縮不良など、良い事は何もない。レシプロエンジンと同じ方法では、解決できない問題であった。そこで、NSUは油密リング[図8]、東洋工業はシリコンゴム入りリングシール[図9]により、オイル流入を解決した。
 チャターマークは、当初、200時間ほどの連続運転で発生していた。東洋工業は、まず、金属製のクロスフローと呼ばれる、シールを開発した。[図10]このシールは、アペックスシール内に摺動面と垂直、平行方向に、小穴をあけ、シール頂部の質量を減らし、シールの遥動をさけ、チャターマークの発生を遅らせる事に成功する。そのころ、NSU社はそのような技術を開発できていなかった。続いて、東洋工業は、新幹線の架線からの集電装置用に開発された、パイログラファイトというカーボン材に着目、これと錫を組み合わせたアペックスシールを開発、さらに、チャターマーク発生を遅らせ、続いて、アルミとカーボンを組み合わせ、耐摩耗性と低攻撃性を両立したカーボンアペックスシール[図11]を完成、市販状態のエンジンとした。チャターマークは、結果的にNSU社、東洋工業共に、カーボンアペックスシールにより解決した。しかしマツダは1972年より2分割の金属性アペックスシール[図12]に切り替え、更なる摺動性の向上による、圧縮性、耐久性の向上を図った。
 ロータリエンジンを研究する企業は増加し、ポルシェ、GM、日産、トヨタ、シトローエン、フォードは、自動車用の開発を、鈴木、川崎、ホンダ、ヤマハ、BSA、ハーキュレス、ノートン、バンビーンなどが二輪用を、ロールスロイスは戦車用、現在ではボーイング社の系列である、カーティスライト社は、航空機用を開発するに至り、ヤンマーは、ディーゼル、バイク用、チェーンソー用を開発した。
 各社とも、ロータリエンジンは近未来の比較的小型エンジンの理想形だとし、ロータリファミリを形成するにいたった。しかし、オイルショック以後、開発競争は影を潜めた。東洋工業以外のロータリエンジンは、東洋工業ほどの発展を見せていない。
 現在では、日本は大阪の小川精機[図13]、日東工作所、外国では、ドイツ、イギリスのバックヤードビルダが細々と生産を続けてはいるが、ロータリエンジンはマツダ、マツダのロータリエンジンといってよい状況である。
 ロータリエンジンがオイルショック後に敬遠されるようになったのは、燃焼室表面積が大きく、熱損失が大きいという欠点に大きな要因があると思われ、また、エンジンの量産がマツダのみであり、シール性能の向上が、レシプロエンジンより大幅に遅れたという事にあると思われる。

図8~12は、すべて、編者 山本健一氏のロータリーエンジンからのものですので、掲載は控えます
  図13は、後日、貼り付けます 



東洋工業=マツダとロータリエンジン へ
東洋工業=マツダとロータリエンジン



 東洋工業は、ロータリエンジンの機構を、基礎から検証し、そこから製品開発していく事にした。そのために、市販開始までに6年間が費やされた。小型軽量で高回転での出力や低振動性などは優れているが、低回転での不整燃焼、それに伴う、振動発生、そして燃料消費の多さが、問題であったが、サイド吸気方式の開発、ロータリ用の保守整備の簡単なキャブレタの開発などにより、次々に問題を解決した。そのために得られたデータは膨大な量になった。品質評価方法も次々に開発していった。従来のレシプロエンジンでは考えられない、シール摺動速度、燃焼特性などが明らかになった。レシプロエンジンでは、中速まではスキッシュを利用すると、燃焼速度が上がるが、ロータリエンジンの場合は、トレーディング側から発生するスキッシュは、リーディング側に噴出していき、クエンチさせてしまう。シール摺動特性は、レシプロエンジンのように上死点、下死点で停止する事は無いが、平均摺速は、同一出力、回転数、クラスの比較で、レシプロエンジンより10m/s以上早い数値となる事が一般的である。エンジンの1サイクルが終わる期間は、レシプロエンジンの180°に対し、270°あり、各行程に時間的余裕があり、バルブ機構が無い事とあわせ、これが、吸入効率や排気効率が良い事に起因している。
 自動車用エンジンの販売は、まず、NSU社の497cc・1ロータエンジン搭載の、スパイダ[図14]が、世界初の量産車となった。続いて、1967年には東洋工業が、世界初の491×2cc・2ロータエンジン[図15]搭載のコスモスポーツ[図16]を発売した。以後、東洋工業の開発は順調に進んだ。国内での使用を考えると、低速性能は無視できず、それが結果的に優れ、使いやすいエンジンの開発につながる事になった。また、アメリカではじまる予定であった排ガス規制の存在もあり、東洋工業はロータリエンジンと、ガソリンレシプロエンジン、イギリス、パーキンス社と共同開発であったディーゼルレシプロエンジンの開発と、三種類の自動車用エンジンの開発で、開発状況はひっ迫を極めていた。ロータリエンジンの燃費の問題は排気量、形状からは想像できないほど発生される出力に隠れ、問題にはならなかった。市販開始当時、熱によるハウジングのゆがみや、極冷間地での、シリコンゴム膨張によるオイルシール破損、イグニッションキーオフ時の空ぶかしによるアペックスシール破損が発生したが、即座に解決していった。
 NSU社は東洋工業と同じ、1967年、497×2cc・2ロータエンジン搭載セダン、後のアウディ80シリーズにつながるRo80[図17]を発売したが、NSU社からのロータリーエンジンを搭載した新車種の発売はRo80が最後になってしまった。NSU社の研究開発の主眼は、東洋工業とは違い、高回転、高負荷状態での使用を主に考えられていた。そのため、冷間時の耐久性は、十分ではなく、エンジン始動後、冷間時の走行、高負荷を与える事により、シールが異常摩耗するという、実用性の決如により、エンジン回収が相次いだ。
 以後、NSUとシトローエンの合弁会社、コモータから、シトローエンGSのロータリバージョンが発売されてはいるが、NSU社はアウディに完全吸収される。アウディは1970年代までロータリエンジンの開発を続け、燃料作動室内直接噴射方式の層状吸気システムを発表しているが、それは、東洋工業やGMなど大手提携先に対するメンツを維持するため、といった感のみの物であった。
 1970年代初頭には、日本の日産、トヨタ、アメリカのGM、西ドイツのポルシェ、メルセデス・ベンツ、イタリアのアルファロメオがロータリエンジンの自動車搭載を目標とした計画が進められたが、1973年におきた石油ショックの影響で、各社とも計画を中止している。
 対して、東洋工業は、コスモスポーツに続き、1968年以降、ファミリア[図18]、ルーチェロータリクーペ[図19]を、1960年代に発売し、カペラ[図20]、サバンナ[図21]、二代目ルーチェ[図22]と1972年までに、6車種のロータリエンジンを販売開始している。エンジンも、コスモスポーツ、ファミリア、サバンナに搭載された491×2cc・10A、ルーチェのみに搭載された、655×2cc・13A[図23]、カペラ、サバンナ、ルーチェに搭載された573×2cc・12A[図24]、さらに、1973年には654×2cc・13B[図25]エンジンがルーチェに搭載され市販が開始される。研究開発の進度が他社に比べて早かったことが読み取れる一例である。

図13~21は、すべて、一般出版物からのものですので、掲載は控えます
  図22、24は、後日、貼り付けます 



1970年代以降のロータリエンジン へ
1970年代以降のロータリエンジン

ロサンゼルスの大気汚染に端を発した、カルフォルニア規制により、HCの排出量の多かった、ロータリエンジン搭載車はアメリカに上陸できない恐れがあったが、サーマルリアクタ[図26]による、HC、COの再燃焼処理により、無事にアメリカでの販売を始めた。続いて、開始予定であった、アメリカマスキー法の存在は、世界中の自動車メーカにとって、脅威といえる排気ガス規制であったが、と東洋工業は本田技研工業と共に、マスキー法にいち早く合格し、低公害エンジンとしても、脚光をあびることになった。
 当時、レシプロエンジンは、排ガス対策処理を行うと、大幅な、性能低下が見られたが、ロータリエンジンは、出力の低下はなく、燃費の悪化のみが見受けられたにとどまり、新世代の夢エンジンと賞賛されていた。生産台数は毎年増大し続け、1972年には、実に24万台もの生産数を誇った。1972年発売のルーチェには当初から低公害車が設定され、量産車として世界で最も清浄化された排ガスを排出する車となり、国内低公害車優遇税制第一号車に認定される。しかし、オイルショックにより、ロータリエンジンの生産台数は大幅に減る事になる。
 初代ロータリエンジン研究開発部長の山本健一氏の言葉を借りれば、1960年代が“寝てもさめても開発を”であったとすれば、1970年代は、“何が何でも性能向上を”であったといえよう。 
 当時、アメリカEPAの燃費試験で、カペラ,サバンナは、アメリカンV8エンジンよりも悪い燃費とされ、東洋工業は、これに反論したため、メディアからも批判をうけ、賞賛は、一転した。1973年、松田耕平社長は排ガス浄化システムREAPS-3を搭載した、ルーチェ、カペラ、サバンナの3車平均燃費に対し、2年間で40%の燃費改善を行うと宣言する。
 サーマルリアクタによる排ガス処理とは、ロータリエンジンの最高燃焼温度が低い事を利用し、NOxの発生を抑え、平均燃焼温度が高い事を利用し、HC、COを、エンジン外で再燃焼させる構造であり、排ガス試験を行われる中速域まで、通常の混合気よりも濃いガスを与えて対処していた。ロータリエンジンは、市販開始当時より、市街地走行などで、燃費が悪いという面があったが、排ガス処理のため、一段と燃費が悪化していた。
 サーマルリアクタ制御の最適化や作動室形状の変更などにより、1974年には20%燃費を改善したREAPS-4を量産し、公約通り、1975年には、サーマルリアクタで発生する熱をエキゾーストポートに噴射する二次噴射空気にコンバートする熱交換器の採用によるサーマルリアクタの反応促進、点火プラグ位置の変更、点火時期の進角、コンピュータの制御変更などで、40%以上の燃費改善を実現する事になる。その後も、改良を重ね、減速時、混合気をシャッタバルブで、片方のロータのみに供給する事により、未燃ガス排出低減と運転性能の両立を図る減速装置、EGR、希少燃焼方式を採用し、サーマルリアクタを排ガス処理に採用した、1978年に登場したサバンナRX-7では、REAPS-3に対し、68%もの燃費改善を実現している。その後、東洋工業は、排ガス処理をサーマルリアクタ方式から、三元触媒方式へと転換し、吸気タイミングを量産開始以来の2ステージから3ステージへと、多段化、さらに、ターボ搭載などを行った。それにともない、アペックスシールはシール形状の変更[図27]、3ピース[図28]へとなり、よりいっそうのシール性能の向上をはたした。シールの改良は、クラウニング形状による、運転時に摺動面のゆるい円弧形状が直線になる事を利用した気密性の向上対策と、多ピース化によるシール端部の吹き抜け防止、シール摺速の変化に伴う摺動性低下の低減を図った。オイルシールはOUT側の内部材がシリコンからフッ素へと変更になり、エンジンの高性能化に伴う熱負荷の増加に対応、つみかさねによる基礎性能の向上が出力と、燃費向上に結びつき、1990年には、世界初3ロータターボエンジン[図29]搭載車・ユーノスコスモ[図30]を発売している。1991年には3代目RX-7がされた。
 ロータリエンジンには、ルーチェとコスモ、RX-7が改良されるたびに、点火系や、細かいところへの改良が、実施されていたと言っても過言ではなかった。
 しかし、1996年、マツダが業績悪化のため、フォードが33.4%、マツダの発行株式を取得した時点で、ロータリエンジンの開発予算は大幅に削られ、研究開発の続行が困難な状況になってしまった。しかし、1998年には、RX-7用13B-REWの摺動面へのオイル供給、応答性の向上を含んだ改良により、エンジンの280ps化を行う。しかし、それ以後、月販300台前後のRX-7にそれ以上のエンジン改良は行われず、排ガス規制の影響で、2002年8月、24年、3世代にわたって続いたRX-7[図31]の生産が終了した。そして、1967年以降続いた、マツダのロータリエンジン量産が途絶えた。

図22~31間の、一般出版物からの画像はすべて、掲載、控えます
  広報資料からの画像は、後日、貼り付けます 



現在のロータリエンジン へ
現在のロータリエンジン



ロータリエンジンの開発が止まる直前の、1995年、東京モータショーには一台のロータリエンジン搭載試作車が展示された。呼称はRX-01[図32]、次期RX-7であったといわれる車である。1993年より開発がはじまったエンジンには、大幅な改良が加えられ、新たにサイド排気方式の採用により、大幅なポート開閉時期及び面積の見直しが可能になり、エンジン出力向上、燃費改善、有害排出ガス濃度の低減が可能になっていた。しかし、開発は予算不足のため進まない状況で、市販時期は未定であった。一時期は市販計画車種からロータリエンジン搭載車そのものが消えた時期があったという。市販予定のないエンジンには予算などつくはずもない。しかし、開発は再び始まる。エンジンは来るべき新世紀に備え、さらに、大幅な基本性能の向上が図られた。そして、新しいシャーシを想定し、開発が続いた。
 フォードは方向転換をし、それぞれのメーカの個性を大切にするという方針を打ち出し、これにより、ロータリエンジンの存続が決定されたのである。
 そしてついに、2003年、新型ロータリエンジン13B-MSP“RENESIS”[図33]がRX-8[図34]でデビューする。


img1.gif
図33 13B-MSP”RENESIS”

se3p_0117s.jpg
図34 RX-8


エンジン許容回転数は9000rpmとなった。このときの、アペックスシール速度は、平均32.9m/s、瞬間最高速度では、47.1m/sにも達する。
 これは、特殊なレシプロエンジンでは、まず実現できない数値であり、ロータリエンジンの特異性が良く表れている。
 13B-MSPの、エンジン本体の主な改良点は、東洋工業時代から、使用続けてきた、ペリフェラル排気ポートをサイド排気ポートに改めた事[図35]が、大きな改良点である。

img2.gif
図35 排気ポート位置の変更

モータスポーツ用としてはペリフェラル排気ポートのほうが優れているが、サイド排気は、排気ポートの開時期をペリフェラル排気よりも遅らせる事ができるので、熱効率の向上が可能である。サイド排気は、膨張行程を伸ばす事が可能であり、さらに、オーバラップが始まる時期をも遅らせるようになり、吸気ポートの開時間を増やしても、低速、高速性能の両立がはたせる、利点があった。このサイド排気は、東洋工業では、1965年から70年まで、GMでも、東洋工業とロータリエンジンに関し技術提携した1970年代半ば、市販ロータリエンジンの性能向上には欠かせない物として、研究をすすめた。10Aを用いたデータが残っているが、トルクが4000rpm時に0.5N・m程低下したが、燃料消費率は3000rpmでは8g/ps・hほど、2500rpmでは実に20g/ps・h低減されるのが確認されている。[図36]しかし、当時の作動室内へのオイル供給が、現在の分離給油式2ストローク・スクータのようなプランジャを用い、アクセル開度とエンジン回転数で吐出量の制御を行うのと、オイルの吐出位置がキャブレタであったことと、オイルシールからのオイル流入水準では、ポート付近に大量のカーボンが堆積してしまった。またオイルシールの内部のゴムが高温にさらされ、焼損してしまう問題点があり、市販はできなかった。しかし、排ガス性能の利点は確認できていた。現在では、ステップモータを用い、応答性に優れたオイルノズルとを組み合わせた、吐出制御と、オイルシール性能の向上により、今回の13B-MSPから、サイド排気が採用できるようになった。オイル供給ノズルは1本から2本[図37]になり、摺動、気密性の確保と、カーボン発生の低減の両立が図られている。また、排気ポートへの、新気の吹き抜け、トロコイド摺動面潤滑オイルの掻き出し、未燃焼ガスの排出[図38]がなくなり、排出ガスのHC量を従来の1/3以下に減らせるようになった[図39]。

img3.gif
図38 炭化水素を吐きだす仕組み

また、ロータリエンジンの弱点であった軽負荷時運転すなわちアイドル燃費と常用領域での実用燃費は、プライマリ吸気管の壁面に付着する、燃料をジェットエアにより吹き飛ばすと[図40]共に、小型12孔噴射インジェクションによる燃料の霧化促進、作動室内への吸入空気気流改善[図41]を果たすことにより、常用領域で使用され続けていた燃焼安定のための増量補正は廃止され、理論空燃費での運転が可能になり、13B-REWに対し最大で40%の改善[図42]がはたされている。

img4.gif
図40 ジェットエアノズル


 次の改良点は、シール性能の向上にある。1985年から用いてきた、3ピースアペックスシールよりも、更に質量を減らし、追従性を向上させ、更に微量のカーボンを含有させた2ピースアペックスシールを採用し、摺動面端部の形状の変更を行った。他、コーナシールには、耐排ガス温度向上のために、挿入材がエポキシゴムから金属プラグに変更になり、コーナシール側面にはダイヤモンドライクコーティング処理を行い耐久性向上が図られている。また、サイドシールは従来のプレーン断面形状からキーストン形状に変更され、耐カーボンスティック性が大幅に向上した。量産開始当時、オイルシールは、内部にシリコンゴムが採用されていたが、エンジンの高性能化に伴い、IN、OUTの二本あるうちのOUT側はフッ素になっていたが、13B-MSPでは、サイド面の熱負荷が大きくなったため、IN、OUT共にフッ素が採用されている。さらに、ブローバイカットオフリングシールが、オイルシールの外側、サイドシールの内側[図43]に配され、ロータとサイドハウジング間に流れる、ガスを低減させている。ロータ本体には、鋳造精度を高める事により、13B-REWに対し5%の軽量化で高回転化とレスポンスの両立を果たし、出力向上のためにロータトレーディング側サイド端部にフランクカット[図44]を採用し、15psの出力向上を果たしている。

img5.gif
図43 シール配置位置


 エンジン本体以外の改良は、吸気系が3タイミング5ステージの総合可変吸気機構[図45]を採用した。

img6.gif
図45 総合可変吸気機構 ”S-DIAS”

回転数により、吸気時期および、吸気管の長さが変わる[図46]、自然吸気エンジンながら、ロータ間の位相が180度である事を利用し、吸気ポート閉時に発生する圧力波を、開いている吸気ポートに導き高回転時に、動的過給効果が得ている。サイド排気システムを採用した事により、吸気ポートは、13B-REWより30%ポート面積を拡大できた[図47]。

img7.gif
図47 ポート拡大

排気側はチャンバ形状の改良、排気管のストレート化、消音器の容量拡大により、消音性と出力低下の抑制の両立を実現した。吸排気ポートの変更、吸排気系も含め、以上の改良により、75psの出力向上を果たし、13B-REWベース時と比較し、90psの出力向上を果たしている。エンジン制御には32ビットパワプラントコントロールモジュールを採用し、高精度空燃費制御、電子スロットルを含む高精度エンジン制御を実現した。
 13B-MSPは開発開始より、10年以上の時を経て、実用化にたどり着いた。ベースエンジンの性能としては、三代目RX-7の1.5倍以上の出力向上と、1.4倍の燃費性能の向上を果たしている。
 今、ロータリエンジンには再び転機が訪れようとしている。RX-8は量産開始以来、18ヶ月で生産台数を10万台とし、発売から一年経った、2004年に入っても、国内月販台数は平均で1000台以上、全世界月間販売台数は5000台をキープし続けている。
 来年度中には確実にマツダのロータリエンジン総生産台数は、200万台を突破する。次期RX-7が現実のものになりつつあり、更に、近未来の次世代動力として、水素ロータリエンジン[図48]の存在がクローズアップされつつある。
 20世紀より、断続的に、水素で作動するロータリエンジンを研究していたマツダは、1990年代後半は、資金不足により、一時、開発中断の時期があったが、現在は、電動過給機構と、電動補助動力を水素ロータリエンジンと組み合わせ、さらに、ガソリンでも走行できるよう開発を進め、現在、公道上を試験走行中で、2006年度中のリース販売を目標に、現在急ピッチで開発が進んでいるという。
 これからのロータリエンジンは、いつか、どこかで、対処療法的な進化ではなく、抜本的な材質変更、DICSと呼ばれる、ガソリン、灯油、軽油、アルコールといった、良質、低質燃料のどちらでも運転が可能な、層状吸気方式の採用などが行われるのではないかと思われる。



図32~48間の、マツダ株式会社発行本に関して、HPへの転載許可はとれていません(2005/6/2)。また、一般出版物からの画像もすべて、掲載を、控えます。
 広報資料からの転載はしました。ご指摘がありましたら、ご連絡ください。すぐさま、差し替えます 



ロータリエンジンとモータスポーツ へ

ロータリエンジンとモータスポーツ

 ロータリエンジンは、誕生と同時にヨーロッパのモータスポーツに参加し始めた。
1968年に、東洋工業は、西ドイツ、ニュルブルクリンク・マラソンデラルート84時間耐久レースにコスモスポーツで参戦[図49]、初戦で、総合4位完走を果たしている。この時、既に、NSU社よりも良い成績を残している。翌年は、コスモにかわりファミリア[図50]で、レース活動を行い、ニュルブルクリンクでの84時間耐久レースはリタイアしたが、24時間耐久レースにおいて、4位完走を果たす。
 サバンナRX-7は、1981年には、スパ24時間で、また、1979年から81年まで、イギリスサルーンカー選手権チャンピオンになっている。
 オーストラリアでは、R100(ファミリア)、RX-2、3、4、5(カペラ、サバンナ、ルーチェ、コスモ)が人気で、モータスポーツ活動も盛んであった。RX-7は、1982年から1984年まで、耐久選手権のチャンピオンとなり、1992年から94年まではバザースト12時間耐久レースで総合優勝を飾っている。
 東洋工業ワークスチームは国内レースに、1970年より参戦しはじめ、ファミリアからカペラ[図51]へ、そして、1971年式サバンナでついに国内最強のツーリングカーとなり、1976年には、100勝目をマーク、通算100勝以上を記録している。国内では、単一車種で100勝以上している車種はサバンナ[図52]以外にはない。
 富士グランドチャンピオンカーレースには、1970年代前半、12Aにより参戦していたが、BMWなどの純レーシングエンジンに比べ競争力は低かった。1976年より、13Bでの参戦が可能になり、ついに、チャンピオンエンジンになる。
 国内でのその後は、グループC、RS、シルエットフォーミュラ、JSS、JGTC、N1耐久、現S耐などに参戦しているが、1970、80年代のような目覚しい活躍は見られていない。現在は、マツダのモータスポーツ活動縮小政策のため、JGTと現S耐久にプライベータが参戦しているのみである。
 アメリカでのワークス活動は、RX-3から活発化している。RX-3の後を引き継いだRX-7[図53]は、デイトナ24時間レースを含むIMSAシリーズで活躍した。1990年には単一車種で通算100勝を記録している。この記録は1995年のIMSA消滅時までに、117勝まで伸び、ポルシェを優に凌ぐものであり、ロータリエンジンの優れた高速性能を表しているだろう。ただ、近年は、マツダの支援が打ち切られた事などもあり、カンナムカーでその姿を見せるにとどまっている。プライベータでは、ドラックなどにも参加している。
 ルマンには1970年に初じめて登場し、以後、マツダスピードを主体とし参戦を重ねた。
 1970年は、シェブロン製シャーシに日本から借与された10Aエンジンを搭載したマシンが、ベルギーチームより出走したがリタイアしている。
 1973、74年は、シグマ(現サード)とマツダオート東京(マツダスピード)のジョイントチームが出走したが、リタイアしている。翌1975年は、当初、マツダオート東京のエース、寺田、岡本両氏がサバンナRX-3により参戦予定だったが、オイルショックの影響により、計画は中止、マシンがフランスチームに貸与され、参戦しているが、リタイアしている。1979年、ついにサバンナRX-7シルエットフォーミュラ[図54]がマツダスピードによる参戦を始めた。
 1980年、IMSA仕様のRX-7が、ロータリエンジンの初完走を果たす。1982年に東洋工業チームとしては、初完走後、グループCにステップアップ、以後、毎年、参戦を重ねた。
 当初、13Bで参戦していたが、1986年に、3ロータ、13G搭載の757[図55]で参戦を開始、1988年には、4ロータが登場し、1990年、4ロータエンジンの最終進化型、R26B[図56]を搭載した、787が参戦し、ついに1991年、787を改良した787B[図57]が総合優勝を飾った。

787B_0014_201901150816455fc.jpg
図47 マツダ787B


 マツダのレース活動は、海外においては、耐久レースが主体であった。それは、ロータリエンジンの耐久性を示し、信頼を得るという戦略があったからであろう。マツダのレーシングロータリの歴史は日本の耐久レースの歴史と言っても決して過言ではない。世界三大耐久と呼ばれる、デイトナ、スパ、ルマン、という、世界の24時間耐久レースで優勝、好成績を収めているからである。

図49~56間の、マツダ株式会社発行本に関して、HPへの転載許可はとれていません(2005/6/2)。また、一般出版物からの画像もすべて、掲載を、控えます。 

  1. 2004/10/02(土) 08:09:52 -
  2. 旧HP ROTARYEAGLE -
  3. トラックバック:0 -
  4. コメント:0 -
  5. ↑TOPへ



泡洗浄式便器  パールトイレについて




PTW-1
PTW-1

パールトイレ、なじみのある人には、深くかかわりをもち、なじみのない人には、理解できないものである。
そのパールトイレの不思議さ、魅力は、他サイトで、語り尽くされた感がある。
しかし、その、簡便かつ魅力的な機構について、私はふれてみたいのである。
なぜ、便器が、ここまで、メカニズムチャームなのかという、点である。

パールトイレとは、泡で流すトイレである。トイレの発泡機構は、めだかの水槽を思い浮かべていただきたい。
めだかの水槽は、だいたい、空気ポンプがついていて、水槽内へ、酸素を供給する為に、電磁ポンプは、日夜、空気を送り続ける。
ゴム製のダイアフラムは電磁石が壊れるまで、己のゴムが傷み、その役目を終えるまで、ブーーーーーっという作動音と共に働き続ける。無論、消費電力は、微々たるものだ。
そして、加圧された空気は、チューブを通り、水槽内へ導かれ、先端についた、軽石のようなもので、微細な空気となり、水中へ放たれる。
これこそが、パールトイレの基礎なのだ。
水槽内の水は、便器に備えられた、ネポノールという泡発生液と水との混合物、に置き換り、軽石はパールコンに置き換わるという話なのだ。


PTJ-5 泡の出る構造
PTJ-51の機構図


1969年12月、ネポン株式会社(旧熱ポンプ工業株式会社)は、世界初、樹脂製泡洗浄式便器、和式のPTJ-1,及び洋式のPTW-1を発売した。
泡は、水と、ネポノールという洗浄剤を混ぜたと空気により、発生する。


ネポノールと点滴ノズル
ネポノール


定常発生する泡。これは、便槽からの臭気をシャットアウトし、洗浄ボタンを押した際に発生する、洗浄用泡は、汚物を便槽へ押し流すのである。この機構は、まさしく、美しきものであり、まさに、パールトイレ開発者のねがいであった、簡易水洗便器の、省使用水量化を達成し、文字通り、その泡はパールのよう、美しいなにかに結実し、非水洗地域の希望の星になった、ということなのである。
当初、便器下部に設けられた、水槽は、大きく重いもので、電磁ポンプ数も多かったが、度重なる改良をうけた。


PTJ-1 分解図
PTJ-1 分解図

上の、PTJ-1とPTJ-51を見比べていただきたい。たいぶ、簡素化されたのがお分かりいただけるだろうか?和式の水槽は小型化し、洗浄時間任意選択タイマーつきPTJ-5に樹脂製便器は完成をみた。後のPTJ-51の原型である。
使用する水が、井戸水や簡易水道水、沢水の場合、パールコンが詰まってしまう事もあった。そこで、井戸水用のネポノールもあるのだ。


井戸水用ネポノール
井戸水用ネポノール


パールトイレは、陶器製へと進化し、今では、泡発生制御がマイコン制御にまで発達した。誰が便器の洗浄にマイコンを使うなどと考え及ぶだろうか?
私は、そこがすごいと思う。

時代は流れ、バイオな処理装置を備えた、ボットンや、熱風で、汚物を粉末化するものなど、簡易水洗方式も進化し続けている。

パールトイレの、かつてのような、爆発的普及は、もうありえないだろう。しかし、これは、後世へと伝えるべき、文化なのではなかろうか?

私は、PTJ-1、PTJ-5、PTW-1、及び、ネポン・ユリーナを後世まで動態保存することを決意した。

私、なかなか、パールトイレに触れることのできない方々にもお分かりいただけるよう、動画をアップすることにし、自宅でPTW-1、PTJ-5の通電状態の撮影を行った。
その、魅力的な泡に触れてみてください。

ネポンパールトイレ動画撮影風景
撮影風景

PTJ-5 洗浄泡の出始め 4.7MB
PTJ-5 洗浄泡の出終わり 3.6MB

今回の公開は、まことに勝手ながらPTJ-5の一部分だけとさせていただきます。

久しぶりに動かした、PTJ-1は、すでに静態保存と言ったほうがいいような状況になっていました。
また、退役してはや、3年以上たつPTW-1も、傷みが現役時よりも激しくなってきた様子です。

PTJ-1,PTW-1,PTJ-5

今は亡き車山のネポン
ネポンパールトイレ業務用システムの便器

今は亡き車山のネポンの泡
泡で洗浄の図

今は亡き車山のネポンの便器
ペーパー洗い流しの図

かつて、私が中学1、2年の頃、手紙でさまざまな事を教えていただいた、ネポン株式会社、及び、神奈川ネポン販売(株)様、この場を借りてあつく御礼申し上げます。

今後、機構的な魅力を伝えられるため、という目標からぶれないよう、モラルに触れることがないようにして、より充実させていきたいと思っております。
  1. 2004/10/01(金) 09:45:22 -
  2. 旧HP ROTARYEAGLE -
  3. トラックバック:0 -
  4. コメント:0 -
  5. ↑TOPへ


がく

09 | 2004/10 | 11
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Category

Links

Manufacturer Link

Search