がくのロータリー人生

二代目マツダルーチェと三代目プレマシー、ファミリアバン、C56に乗るがく




十日町高校 甲子園出場




記録の為に書きます

私は、オーバーハンドでボールが投げられないヘナチョコです。
サイド&アンダーならば、そこそこちゃんとした球が投げられるんですけど...
そんな私の祖父は、元、高校教師で元野球部の監督であります。
私に遺伝したのは、酒飲みなところとマツダ好きだとおもいます。

十日町高校、大正15年創立、旧制中学校としてスタート。昭和23年野球部創設。
でも、弱かったそうです。年の1/3近くは積雪があった地域、出ると負けだったそうです。
そこで、数学教師の祖父が「見てられん」ということで、監督になるのでした。
当時、20台半ば、血気盛んな青年だったそうです。
しかし、祖父も野球が出来た訳ではありません。選手と一緒に上達していったそうです。
がたいの良い生徒を見つけては、野球部に引きずり込み、足りない用品は地元の産業界に支援を仰いだそうです。
そして、生徒と祖父は、二年連続で県大会ベスト8にまでいけるようになります。
が祖父の監督人生は、ここでおしまい。以後は他の形で、部を支援したそうです。
祖父はその後は生徒指導一本の道を進みました。戦後、就職してから退職するまで、母校で教員生活を送りました。
そして、月日は流れ、’80年代半ば、再び野球部は強くなり、北信越大会準優勝や県大会2位などの成績を残します。
この頃は、既に祖父は、退職まじかだったとおもいます。生徒から、どう思われてたんでしょうか?読んで、祖父が誰かがわかる方、教えてください。
私は、そのころ松本であった、試合などから記憶があります。
県大会2位になった頃は、十日町から、柏崎までクルマが渋滞したなどという逸話があるそうです。
十日町高校は、新潟県の高校野球では、ほぼシードの仲間ですが、なかなか、甲子園への道は遠かった訳です。
祖父は毎年のように、甲子園に行きたいと言っていて、今でも言いますけど、いつ行けるかは時の運だったのです。
近年では、新潟明訓、日本文理、中越など私立校が、甲子園に出場するという大会がほとんどでしたが、'95年、となりの六日町高校が、甲子園へ初出場を果します。
次こそ、十日町!と選手、後援会関係者は思っていたに違いありません。
そして、ついに2001年、十日町高校は、するすると勝ち上がり、決勝戦で、日本文理に1対2のサヨナラ勝ちを決めついに、甲子園初出場を果す事になりました。この日本文理戦でも、文理のピッチャーが実は、十日町高校学区内の生徒で、十日町ナインとは同級生だったとかという話もあったようです。
自分は、当時、東海地方に下宿してたんですけど、電話で逐一確認してました。出場が決まってからは、車のフロントガラスに"十日町高校 祝甲子園初出場"って書いて走ってました。

ここまでもミラクルでした。奇跡ですよ。そしてここからがまたすごかったのです。
寄付が集まりだし、結果としては、数億円(2億だったでしょうか?)が集まりました。
応援バスが越後交通などから80数台、電車が2編成、そのほか、タクシーやマイクロバスなどが繰り出され、4千人を越す応援団が甲子園のアルプススタンドに集まったのです。

当時家の車だったスカイラインで、私も行きました。
朝4時、出発、八王子インターから中央高速を西に向かって走ったのです。
しかし、8月10日、帰省が始まる時期で名神高速は渋滞でした。この渋滞の中で、十日町のワゴン・タクシーを発見しました。もう大興奮です。
尼崎にクルマを停めて、阪神電車で甲子園入り。午後2時くらいでした。甲子園でお盆より一足先に親戚が集まりました。
当日の試合は、雨や熱戦で押されていまして、甲子園近くのスーパーで待機していました。
入場待ちの応援団は、一塁側通路に集結し始め、大変な騒ぎになっていました。熱気むんむんです。
試合開始は、約午後6時。
アルプススタンドは、超満員で、一球投げるごとに、歓声がわきあがり、相手高の明徳義塾とは対照的でした。
試合は2回までに7点を取られ、6回に3点とられて、10-0で負けました。
明徳は、13安打で10点を取ったにもかかわらず、十日町は7安打も完封されてしまいました。
やはり、初出場高が勝てる相手ではなかったのです。
ファールボールが、ブラバンの女の子の目にあたり、悲惨な事故がおきたりと後味がいまいちでした。
が、それを知らなかった応援団は、ストライクが入るだけで、優勝したかのような騒ぎっぷりになり、試合終了後も、長時間、アルプススタンドに留まり、校歌絶唱を繰り返していました。
私達が試合終了後に祖父と再会した時は、もう言葉がありませんでした。
ちょうど、私の母の年代の十日町高校生は祖父が野球に打ち込んでいた事を知る人は普通では、ほとんどいなかったようで、その情熱は、今では家族と当時を知る者だけが知りえるものだったのですが、念願かなって甲子園を見つめる姿は、涙なしではありえないものでした。

甲子園の芝は、本当に美しいです。

甲子園を出ると、十日町からバスできた応援団は、球場を一周するようにして帰っていました。
私は、思わず、十日町高校!万歳!と数度叫ぶと、応援団も万歳を連呼してくれて、うれしかった事を記憶しております。
帰りは、午後、9時過ぎ、10時近くに尼崎を出発。高速で飯を食べ、駒ヶ根SAでは、十日町の嵯峨野というそば・うどん屋さんのマイクロバスを発見したりと、十日町な一日でした。
帰宅は4時。24時間ドライブでした。

また、いつか行きたいものです。
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  1. 2004/10/25(月) 23:58:08 -
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